志村けん
生み出したギャグは数知れず
【掛け声の起源】「最初はグー」「あっち向いてホイ」「ガッツポーズ」などの起源を確認。 - Middle Edge(ミドルエッジ)
付き人からドリフ入り
当時のドリフは積極的に音楽活動を行っていたため、仲間内では「付き人」ではなく「バンドボーイ」と呼ばれていた。
いかりや長介はザ・ドリフターズを率いたリーダー!晩年は「和久さん」で人気を博しました。 - Middle Edge(ミドルエッジ)
加藤茶の付き人となるが、なんと1年余りで一度脱走
戻ってくる時はいかりやの家に行きにくかったので、加藤の家に行って頼み、いかりやへ口添えしてもらったところ、「2度も弟子入りするやつはよくよく好きなんだろう」と出戻りを認めてくれた。その後、しばらく加藤の付き人兼加藤家居候となる。
加藤茶はザ・ドリフターズの万能エース!小学生のカリスマでしたね!! - Middle Edge(ミドルエッジ)
24歳でザ・ドリフターズの正式メンバーに
「東村山音頭」で大ブレイク
全員集合 東村山音頭 - YouTube
『8時だョ!全員集合』の「少年少女合唱隊」のコーナーで「東村山音頭」を歌ったことで、これにより一躍人気者となる。
きっかけは1976年3月6日の新潟県民会館での公開生放送での同コーナーで、新潟にちなんだ歌として「佐渡おけさ」を全員で歌い、その後にゲストやドリフメンバーの故郷の歌をそれぞれ歌うという趣向であった。
そこで志村は地元の「東村山音頭」を披露することになり、制作段階でリメイクを施して4丁目が完成。これに手応えを感じ、さらにリーダーのいかりやが3丁目を作詞・作曲し、志村の作詞・作曲による1丁目が加えられて、この3曲を本番でまとめて歌った。
すると「毎回このコーナーの最後に歌った方がいい」ということになり、ついには各丁目ごとの衣装が作られるまでになり、特に1丁目は毎回様々な衣装で観客や視聴者を笑わせた。志村の「東村山音頭」は東村山市の知名度向上にも大きく寄与した。