とんねるずの生でダラダラいかせて!!
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『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』(とんねるずのなまでダラダラいかせて!!)は、1991年10月16日から2001年3月14日まで日本テレビ系列で毎週水曜 21:00 - 21:54 (JST) に放送されていたお笑いバラエティ番組である。とんねるずの冠番組。略称・通称は「とんねるずの生ダラ!!」もしくは「生ダラ」。
出演者の「しゃべり言葉」を字幕として画面に表示するという手法を初めて本格的に導入した番組[1]で、これ以降のバラエティ番組やお笑い番組の制作に多大な影響を与えた。
「生ダラ」だけに生放送だった!?
本番組は放送開始までタイトルが明かされず、「とんねるずの番組」または「とんねるず新番組」と表記をしていたが、第1回放送開始の3分後にタイトルが発表された。タイトルに「生で〜」と謳っているとおり、当初は生放送であった。しかし、番組内容の変化(後述)やとんねるずのスケジュールに制約が出ることが主な理由となって、徐々に録画放送の回が増え、完全にVTR収録による「パッケージ番組」へと変化した。
【伝説の名物企画】麻原彰晃の青春人生相談
麻原彰晃が若者の悩みを解決するという企画。しかし実際は「風変わりな風貌をし、ちょっと珍しい事をしているおかしなおじさん」である麻原に対して興味本位な質問をぶつけ、その反応を皆で笑っている感じのものであった。一回きりの企画で、初期生ダラの演出を担当していたテリー伊藤が当時麻原を面白がっており、自身が演出する番組にたびたび出演させていた。
麻原尊師 生でダラダラいかせて出演 - YouTube
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さすが天才テリー伊藤!まさに伝説の番組にふさわしいコーナーです!
【伝説の名物企画】生ダラKART GRAND PRIX
生ダラカートグランプリ 1998 日本一速い男決定戦 オープニング - YouTube
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番組中期の中心コーナーと言っても過言ではない、カートレースの真剣勝負シリーズ。幼少時代からカートをやっていたアイルトン・セナや、ナイジェル・マンセル、ジャン・アレジ、鈴木亜久里、中嶋悟といったF1ドライバーも出演したことがある。近藤真彦、岩城滉一、舘ひろし、三原じゅん子などの大物タレントと対戦し[3]、三原じゅん子がスピンしたカーブが、ヒット曲にちなんで「セクシーナイトコーナー」と名付けられた。コーナーのオープニングは、フジテレビ系の「F1グランプリ中継」のオープニングCGを真似た実写映像やテロップを使用し、テーマ曲も「TRUTH」(T-SQUARE)を使用していた。
セナ vs とんねるず & ホンダ NSX 1/3 - YouTube
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セナとの対決の際に石橋は「俺が勝ったら鈴鹿で優勝した時のヘルメットくれよな」とセナに約束を取り付ける。結果は、セナがコースを横切ってショートカットしたためにセナの反則負けとなり、約束通り鈴鹿戦のヘルメットをもらうこととなった。しかし、それから間もない1994年にセナは事故死。実際に石橋が前年の日本GPでセナが優勝したときにかぶっていたヘルメットを受け取ったのは、セナが事故死した直後であった。この後石橋は「セナから遺志を受け継いだ」として約2年間コーナーを続けた。
【伝説の名物企画】タカ vs サダ 炎の髪切り十番勝負
カートグランプリの石橋vs定岡の抗争がエスカレートし、「タカーズvsサダーズ」の十番勝負が行われた。前述の「生ダラKART GRAND PRIX」とともに番組中期の中心コーナーの一つである。カート対決、PK対決、オセロ対決などで両雄が真剣勝負を行った。十番勝負としての敗者に丸坊主の罰があるほか、各対決ごとにも罰ゲームが懸けられていた。番組内でのヘタレっぷりから「へなちょこサダ」「負け犬サダ」などと揶揄された定岡だったが、最終勝負の野球対決でサダーズが6勝目を飾り優勝した。石橋は同時期にモデルに挑戦する企画を行っていたため、定岡の了承を得て執行猶予が与えられ、モデル企画の終了直後に坊主頭にされた。サダーズのメンバーは定岡と輪島大士の異色コンビ。輪島も「(好きな食べ物は)マグロ?」「(好きな女性のタイプは)金髪?」などの名言を残し(なぜか番組内での彼の発言テロップはすべて勘亭流書体の疑問形になる)、「ワジー」として愛されるキャラクターとなった。