我修院達也(若人あきら)、24年前の行方不明騒動を語る
2015年12月2日 更新

我修院達也(若人あきら)、24年前の行方不明騒動を語る

俳優の我修院達也(64)が5月20日、映画『リピーテッド』の公開記念イベントに出席。24年前の行方不明騒動を語った。

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俳優の我修院達也(64)が5月20日、都内で行われた映画『リピーテッド』(5月23日公開)の公開記念イベントに出席。

旧芸名・若人あきらとして活動していた24年前、行方不明と記憶喪失騒動で話題を集めた我修院は“記憶喪失”がテーマの同作になぞらえて、当時の心境を語った。
我修院達也(若人あきら)

我修院達也(若人あきら)

6歳から子役として活動。映画『私は貝になりたい』(1959年)など多数の有名作品に出演。18歳で「桜一平」として演歌歌手でデビュー。
その後、テレビで若人あきら名義で郷ひろみの歌真似を隠し芸としてやったのがうけて、一躍人気者となった。
1993年に我修院達也へ4度目の改名。現在は“個性派俳優””怪優”として活躍している。一本につながったカモメ型眉が特徴。

若人あきら、24年前の行方不明騒動

当時、若人あきらという芸名だった我修院は1991年3月3日に静岡県熱海市内の防波堤で釣りをしている最中に行方が分からなくなり、大々的な捜索活動がなされた。
その3日後に神奈川県小田原市で発見されると「記憶喪失」を告白し、大きな注目を集めた。

若人あきらさん失踪事件(平成3年) - YouTube

当時、若人あきらを診察した医師は、頭部を強く打撲した時に起こる「一過性の全健忘症」と診断していた。

若人あきら自身による狂言説

事件当時、「海に落ちた」と証言したにも関わらず、衣服から海水反応がなかった。
落ちたところと関係のない、現場から30キロ離れた小田原市城内の図書館で発見された。
ガムテープで目隠しされたと供述したがそのような形跡はなかった。

これらの状況から、若人自身による失踪・狂言説を疑われた。

北朝鮮による拉致・監禁説

事件から12年後の2003年になって、北朝鮮による拉致の可能性を『週刊新潮』が警察庁警備局の関係者の話として伝聞調で伝えて、改めて事件がクローズアップされた。
さらに、元ジャーナリストで民主党所属の現参議院議員・有田芳生氏は自身のHPで若人あきらの件を示すと思われる下記のコメントを残している。

『北朝鮮の拉致問題では、いまだタブーとなっていることが多い。身辺の安全を考えれば報じることができないからだ。
ある有名人が「失踪」したことがある。本人は問われると 「覚えていない」というのだが、実はそうではなかった。 夜釣りに行っているときに、拉致現場を目撃してしまったのだ。そのためにいっしょに拉致されてしまった。 船に乗せられてから自分のやっている仕事を訴え、明らかになれば大騒ぎになると主張した。実行犯は日本にある関係組織に連絡を取り、事実だと確認。「しゃべったら家族の安全は保障できない」と言いくるめ解放したという。いずれ証言するときがくるのだろうか。』
なお、我修院(若人あきら)自身は「そんなこと、あるわけないじゃないですか」とコメントしている。

当時の記憶喪失について振り返った。

「3月3日はおふくろの誕生日でした。あのとき僕は41歳だったんですが、今は65歳。18歳だったうちの息子がもう41歳なんだから、あっという間ですね」としみじみ。

「当時、マスコミの方に『何がわからないのかわかりません』と答えていたんですが、確かにその通り。わからないっていうのは怖いんですよ。忘れてしまったものは覚え直せばいいですが、(本作の主人公は)毎日忘れてしまう。それは本当に怖いし、大変だと思います」と思うところもあった様子。事故以降、記憶喪失系の作品の映画評論を頼まれることも多いという我修院だが、「このスタイルは初めて。プロットが新しくて、素晴らしい。大どんでん返しで気持ちよくだまされた」と絶賛していた。

さらに「(事故から)毎日ずっとしていることがあります。腹筋と腕立て伏せ。最近はそれに追加して1万歩歩いています」と切り出した我修院は、「腹筋は350~400回、腕立ては150~200回はやります。ですから体重48キロの体形は当時から変わっていません」と付け加え、会場を感心させた。
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