季節を無視して咲き乱れる花々の中、全裸で横たわる女。彼女は、男性へのコンプレックスを自ら腹を裂き子宮を見せびらかすという攻撃的態度に転じさせている。臓器を描くのは、現代社会において欠如しつつあるリアリティーを呼び覚まし、下等感覚であるがゆえに見過ごされがちな痛覚を通じて自己確認を引き起こすためだ。抑圧を抱えた女性がこの絵を見て「絵の中の彼女が苦痛を代理してくれた」と思うとき、松井の作品は「厄払い」としての力を持ち得る。
『美術手帖 vol.60 特集 松井冬子』2008年1月号、美術出版社
松井:そもそも現代美術のジャンルで近年、過激な作品がすごく多くなって、私自身が視覚から「痛み」に似たような感覚を感じるようになったんです。でも、そういうことを感じるのは私だけではないだろうというのが発端だと思います。
私がこういう絵を描いている理由の一つに「厄払い」的な意味があると思っています。例えば「幽霊画」は、昔の江戸時代に結構流行ったもので、一家に一幅あったとされています。なぜかというと、主人の留守中に恐ろしい幽霊画をかけておくと、「あ、幽霊がいる!」と思って泥棒が入ってこないというふうに、厄払いになると信じられてきたそうです。
例えば親しい友人がいつも自殺したいと思っていて、自分もそう思っていたとしても、その友人が目の前で電車にひかれて死んだとすると、何か自殺をしない気持ちになるというか、踏みとどまろうという気持ちになりますよね。「浄相の持続」や「夜盲症」にしても、そういう厄払い的な意味合いはあると思います。
via www.cinra.net
松井:みんな真実を知りたいんじゃないでしょうか。ただ見たいというよりも、たとえば人間の体の中には見えてないけど内臓が存在しているわけだし、それを知らないほうがおかしいと思います。
近藤:世の中がどんどんバーチャルになっていくなかで、人間が生物で、中には内臓がベロッとあるということ、そういうのを知らずに生きていけるようになっているからこそ、よけいに見たい、知りたいんでしょうね。
松井:何もかも隠されていますよね。たとえば、人が死んでも、葬式をして燃やして、小さな灰になって、骨壺に入れて終わり。……あまりにも簡略化され過ぎていて、生と死の実感が得られないですよね。私の作品はそれを確認するためのきっかけでもあると思っています。
九相図(九想図、くそうず)とは、屋外にうち捨てられた死体が朽ちていく経過を九段階にわけて描いた仏教絵画である。名前の通り、死体の変遷を九の場面にわけて描くもので、死後まもないものに始まり、次第に腐っていき血や肉と化し、獣や鳥に食い荒らされ、九つ目にはばらばらの白骨ないし埋葬された様子が描かれる。九つの死体図の前に、生前の姿を加えて十の場面を描くものもある。九相図の場面は作品ごとに異なり、九相観を説いている経典でも一定ではない。『大智度論』『摩訶止観』などでは以下のようなものである。
1.脹相(ちょうそう) - 死体が腐敗によるガスの発生で内部から膨張する。
2.壊相(えそう) - 死体の腐乱が進み皮膚が破れ壊れはじめる。
3.血塗相(けちずそう) - 死体の腐敗による損壊がさらに進み、溶解した脂肪・血液・体液が体外に 滲みだす。
4.膿爛相(のうらんそう) - 死体自体が腐敗により溶解する。
5.青瘀相(しょうおそう) - 死体が青黒くなる。
6.噉相(たんそう) - 死体に虫がわき、鳥獣に食い荒らされる。
7.散相(さんそう) - 以上の結果、死体の部位が散乱する。
8.骨相(こつそう) - 血肉や皮脂がなくなり骨だけになる。
9.焼相(しょうそう) - 骨が焼かれ灰だけになる。
死体の変貌の様子を見て観想することを九相観(九想観)というが、これは修行僧の悟りの妨げとなる煩悩を払い、現世の肉体を不浄なもの・無常なものと知るための修行である。九相観を説く経典は、奈良時代には日本に伝わっていたとされ、これらの絵画は鎌倉時代から江戸時代にかけて製作された。大陸でも、新疆ウイグル自治区やアフガニスタンで死屍観想図像が発見されており、中国でも唐や南宋の時代に死屍観想の伝統がみられ、唐代には九相図壁画の存在を示唆する漢詩もある。仏僧は基本的に男性であるため、九相図に描かれる死体は、彼らの煩悩の対象となる女性(特に美女)であった。題材として用いられた人物には檀林皇后や小野小町がいる。檀林皇后は信心深く、実際に自身の遺体を放置させ九相図を描かせたといわれる。
FUYUKO MATSUI
松井 冬子(まついふゆこ )東京芸術大学 大学院美術研究科 博士後期課程美術専攻日本画研究領域 修了。 博士号取得。2005年「松井冬子展」成山画廊 2006年「MOTアニュアル」東京都現代美術館 2007年野村賞受賞
松井冬子さんの公式サイト
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