1994年の流行語大賞『すったもんだがありました。』宮沢りえ
破局会見の翌年、タカラ「カンチューハイ」のテレビCMに出演した宮沢りえが『すりおろしりんご』とかけ『すったもんだがありました。』とセリフをいうと、視聴者はこの婚約・破局騒動を連想した。
『すったもんだがありました。』は1994年の新語・流行語大賞を受賞した。
宝酒造 『タカラ缶チューハイ』すったもんだがありました 篇
宮沢りえと貴花田(現 貴乃花親方)との婚約・破局騒動
この時相手を悪く言うことをせず「(彼女への)愛情がなくなりました」とだけ言って泥をかぶった姿は感心もされたが、多くの女性と宮沢ファンを敵に回した。宮沢と最後に会った時に言われた言葉は「強い横綱になってください」だったという。
そして、1月27日、宮沢りえが破局会見を行い「人生最高のパートナーになれなかった。残念です」と破談を認めた。
婚約からわずか2か月での破局公表であった。
宮沢りえ&貴花田 破局の真相
貴花田の父である故・藤島親方と友人であった元テレビ朝日ディレクターは、二人の結婚は「相撲協会主導で」という約束であったが、娘を引退させる気がないりえママ(宮沢光子)は「聞いていない」と無視し、いろいろと無理難題を言い始めたことが要因であったと語っている。
また、酔ったりえママが貴花田に母親の憲子さんの悪口を言い、亀裂が決定的になったとも言われている。
宮沢りえとりえママ(宮沢光子)
りえは母の訃報に「最期に、生きるということの美しさと、凄まじさと、その価値を教えてもらいました。そういった全ての宝物を胸に、私は、役者として、母として、女として、惜しみなく生きようと思います」とコメントしている。
美川憲一が宮沢りえを説得していた。
りえママと仲が良かったという美川は、「婚約したときにりえママから電話があった。『やっぱり、嫁ぐところが相撲の世界だから、りえがおかみさんになれる(おかみさんとしてやっていける)ということはありえないと思うのよ』って。それで頼まれてぶっ壊したのよ」と衝撃の事実を語った。
当時、滞在先のロサンゼルスからりえに電話をかけ1時間ほど話し込み「本当にお嫁に行きたいの?」と聞くと、りえは「行きたい」ときっぱり答えた。
しかし、美川は「あんたは背負ってるものが重すぎる。あんたも母一人子一人。私も2人の母(生みの母と育ての母)を背負ってきた。そういう家庭に生まれたらしょうがない、運命だから。おかみさんになったら、お母さんどうするの?ずっと面倒みていかないといけないのよ」と語りかけると りえは、電話の向こうで泣いていたという。
それでも、美川は「あんたもここで、好きだから、って一緒になるんじゃなくて。もう一回考え直して。女優として大成するんだから」と説得したことを明かしていた。