1993年に起こった米騒動、この年はタイ米にお世話になりました。
2017年2月2日 更新

1993年に起こった米騒動、この年はタイ米にお世話になりました。

1993年の米騒動、憶えていますか?当時はタイ米にお世話になりました。初めて見る長粒種のお米に戸惑う一面もみられましたね。そして城南電機の宮路社長は、この騒動で一躍有名になりました。

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1993年 米騒動

平成の米騒動と呼ばれました

平成の米騒動と呼ばれました

1993年米騒動とは、1993年(平成5年)の日本における記録的な冷夏による米不足現象のこと。平成の米騒動とも呼ばれ、大正時代に発生した米騒動にたとえらる。
この記録的冷夏は、20世紀最大級ともいわれる1991年6月のフィリピン・ピナトゥボ山(ピナツボ山)噴火が原因となり発生したとされている。夏の気温が平年より2度から3度以上下回ったからである。
お米が急速に不足した年でした

お米が急速に不足した年でした

この天候不順によって日本国内で栽培されていたコメの記録的な生育不良が米不足を招く事態に。
消費者はもとより、卸売り業者までもが米の確保に奔走し、小売店の店頭から米が消えるといった混乱が発生したが、同時に普段米を扱わない業者までもが、消費者の関心を集めるために米を販売するといったケースも発生した。
翌1994年(平成6年)は、夏の猛暑により米作柄が回復したことを受け現象は同年後半にほぼ終息。

1993年 米騒動の経緯

1993年のエルニーニョ現象発生

1993年のエルニーニョ現象発生

1993年(平成5年)は梅雨前線が長期間日本に停滞し、沖縄以外では梅雨明けの発表がなされないという事態となり、日照不足と長雨による影響で米の作柄が心配されるようになった(エルニーニョ現象)。

結果としてのこの年の日本全国の作況指数は74(評価は「著しい不良」)となった。東北地方ではそれを更に下回った。日本全体で1993年(平成5年)当時1,000万トンの需要に対して、収穫量が800万トンを下回る事態となった。
米の緊急輸入を決定

米の緊急輸入を決定

米価は、秋口から少しずつ上昇を始めた。細川内閣は9月、260万トンをタイ、中国、アメリカから緊急輸入を行うと発表した。

しかし当時は、日本人がいわゆる和食の原点回帰や、食生活・食料品の安全などに強い関心を向け始めた時代でもあり、ポストハーベスト農薬など、輸入農作物に対する不信感も根強く、輸入米に対しての警戒心も消費者に見られた。

引用:wikipedia
各地で「売り惜しみ」が発生

各地で「売り惜しみ」が発生

国産米は根強い人気のため、また市場の品薄感もあって買い溜めと売り惜しみが発生、米屋の店頭から米が消える事態にまで発展。

1994年(平成6年)の年明けには米屋の前に行列ができるなどの社会現象が発生した。コンビニエンスストアでも、従来は2kgや5kgパッケージのものが店の片隅にとりあえず売られていた程度であったものが、同時期には1kgやペットボトル入りなど、従来にない小容量パッケージでレジ前の一等地を占めるほどの目玉商品となった。
食料自給率の低下も危機感を助長

食料自給率の低下も危機感を助長

この年、初めて日本の食料自給率が40%を下回ったことも、この危機感をより印象づけた。当時の世界の米の貿易量は1,200万トンであったが、その20%に当たる米を日本が調達したため、国際的な価格高騰を招いた。タイ国内でも米価が急騰し、タイ国民が日本の不作の煽りを大きく被るという事態になった。

翌1994年(平成6年)の6月に入り沖縄県産の早場米が出回るようになって、徐々に事態は沈静化、同年は暑い夏となり全国的に豊作が伝えられ、完全に収束。

これら一連の騒動は、同年のナタ・デ・ココブームや、バブル期のボジョレー・ヌーヴォーブームなどと並んで、日本の食料政策や国際的モラルに大きな課題を残すことになった。

全国的な米不足のなか、米のばら撒きで一躍脚光を浴びた人も!

当時、家電製品の安売りで知られた城南電機の社長宮路年雄が「日本人は日本の米を食いたいんじゃ」と、あきたこまちのヤミ米を秋田県で買い付け、買付価格の半額という原価割れの激安価格で売り出し、店の前には大変な行列が出来るなどの狂乱的状況が発生。行政指導を受けた。

タイ米と日本人

形状と特徴が異なるタイ米と日本米

形状と特徴が異なるタイ米と日本米

日本の混乱がタイに飛び火する事態も

この不作への対応として政府が各国に米の緊急輸入の要請を打診した。この打診にタイ政府はいち早く応え、日本国政府は「取りあえず、保管している米を輸出して欲しい」と要請。

タイ王国政府は、自国の備蓄在庫を一掃する形で日本国政府の要請に応えている。当初日本国政府は、日本人の味覚に合ったアメリカ産米や中国産米を主食用として、タイ米を加工用原料として輸入することを考えていた。
しかしタイ米に比べ、アメリカ産米や中国産米は輸入量が揃わず、結局主食用にもタイ米を流通させざるを得なかった。

しかし大量に輸入したタイ米は、日本人の嗜好や、国内の炊飯器や調理方法に適合せず、かつての臭くて食感が悪かった「南京米」の記憶が残っていたことなどから不人気であった。
また「タイ米の米袋から錆びた釘が発見された」と、些少な事例をとりあげた偏見報道(報道被害・風評被害)なども起こってしまう。

当然タイ国内では米価格が高騰して、貧困層に餓死者も出るなど混乱が生じたにも関わらず、事態終息以降に大量に売れ残ったタイ米は、不法投棄されたり家畜の飼料にされたりするなど、産業廃棄物(食品廃材)として処理され、タイ国内の混乱を知る者からはこれを悲しむ声も挙がっている。

一方ではタイ米を活かした料理の啓蒙も

外食産業ではタイ米の調理法などの勉強会が各地で催された。近年東南アジア料理が日本に広まっている傾向により、あえてインディカ米の持つ特徴を生かし炒飯やカレー・パエリア等にタイ米に注目して使用するというレストランや外食産業店が増えることになった。

セブンイレブンなどでは、豊富で安価なタイ米を生かして、一般の弁当より低価格なジャンバラヤなど、積極的なタイ米弁当のメニューを、年度内はラインナップに挙げていた。

米輸入自由化の契機となる

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