岩崎宏美
相本久美子
相本 久美子(あいもと くみこ)
東京都港区出身。所属事務所はスペースプロ→芸映プロダクション、歌手活動当時のレコード会社はCBSソニー→東芝EMI。代表的な仕事としては1976年から1981年まで務めた『TVジョッキー』の司会が挙げられる。メイン司会の土居まさるの補佐兼マスコット的なポジションだったが、(番組内の「奇人・変人コーナー」の参加者の去り際に相本が言う参加賞の「白いギターとジーンズをお持ち帰り下さい」は常套句であった)この番組は生放送だったこともあってハプニングが絶えず、頭の回転が速い彼女は時に、蛇が苦手だった土居(出てくると場を放棄して逃げていた)に代わって進行を取り仕切ったことも多々あった。
(出典:Wikipedia)
東京都江東区深川出身。所属事務所は芸映プロダクションから、後にスリー・ジーに移籍。レコード会社はビクターから、インペリアルレコードに移籍。岩崎良美は実妹。1975年4月25日、「天まで響け岩崎宏美」のキャッチフレーズと共に「二重唱 (デュエット)」でデビューした。同期デビューの女性歌手では小川順子、太田裕美、岡田奈々、片平なぎさなどがいる。2枚目の「ロマンス」が90万枚近い大ヒットとなり、「心のこり」の細川たかしと共にこの年の新人賞を多数受賞する。またこの年、第26回NHK紅白歌合戦に、紅組歌手のトップバッターとして初出場(歌唱曲は「ロマンス」)を果たした。
1976年3月、3枚目のシングル「センチメンタル」が第48回センバツ高校野球大会の入場行進曲に初めて選ばれる。
高校時代は午前中授業を受け、午後からは芸能活動を行っていたが、都内の仕事場へはプロダクションの送迎車ではなく自力で電車移動していた。 これは東京生まれの強いプライドからのもの。 制服のまま楽屋入りしていたとき、中尾ミエから「あんたたち、制服のまま楽屋には入らないこと。私が年寄りに見えるから」と叱られたことがある。
1977年3月に堀越高等学校を卒業した。同期生には森昌子、岡田奈々、池上季実子などがいる。同年秋、初のバラード「思秋期」がヒットし第19回日本レコード大賞歌唱賞を受賞。1979年7月、中野サンプラザホールでロックミュージカル「ハムレット」にオフィーリア役で出演(ハムレット役は桑名正博)。
(出典:Wikipedia)