1980年代後半から90年代アイドルグラビアまとめ
時代はハイレグ!食い込み過ぎ注意!! - YouTube
田村英理子
田村 英里子(たむら えりこ)
父親の仕事の都合で8歳から13歳までを旧西ドイツ、デュッセルドルフ市で過ごし、現地では日本人学校へ通っていた。14歳で日本に帰国し、受けたオーディション「決定!全日本歌謡選抜・スターは君だ」で「湾岸太陽族」を歌い[要出典]グランプリを受賞。大手プロダクション各社からスカウトされ、サンミュージックプロダクションに所属することを決める。中学3年の終わりに上京、東映映画『花の降る午後』(大森一樹監督)に古手川祐子と数シーンだが共演しスクリーンデビューを果たす。
1989年3月15日、東芝EMIから「ロコモーションドリーム」でアイドル歌手としてメジャーデビュー。オリコン週間チャート9位初登場を記録し、同年デビューの歌手の中でもトップを記録した。サンミュージックプロダクションと東芝EMIの強力なプロモーション作戦が大成功だった。 3枚目のシングル「真剣(ほんき)」(東芝EMI)では、1989年度の新人賞を総なめにした。特に同期デビューだったマルシアの「ふりむけばヨコハマ」と新人賞レースで、凄まじい激戦が繰り広げられた。
女優としての活動では、NHKに多く出演している。NHK総合テレビ『私が愛したウルトラセブン』(市川森一作)では、ウルトラセブンを作った人々の舞台裏を描いた作品で主人公のヒロインを、NHK大河ドラマ『秀吉』では、細川ガラシャ役を演じた。民放では、日本テレビ『愛さずにいられない』、読売テレビ朝の連続ドラマ『のんの結婚』(主演)などに出演した。
2000年より、かねてからの夢であったアメリカへ単身留学をし(著書・ハリウッド・ドリーム / 文芸春秋参照)、日本の芸能界からは一時姿を消した。(著書『ハリウッド・ドリーム』文芸春秋参照)この間、ロサンゼルスでは現地の日本人・日系人向けニュース番組『JATV News』のアンカーも務めていた。
2005年6月には、日本のテレビ番組には5年ぶりとなる、NHK総合テレビ『英語でしゃべらナイト』にゲスト出演し、ハリウッドでの経験を語った。その後同番組企画のセレブ・インタビューにも出演している。
2006年10月には、10月7日公開の主演映画『だからワタシを座らせて。通勤電車で座る技術!』の公開に向けての宣伝と試写会出演のため日本に一時帰国し、テレビや雑誌などのマスメディアに積極的に出演した。
(出典:Wikipedia)
田村英里子 (1992) - YouTube
「ドキッ! 丸ごと水着! 女だらけの水泳大会8」より
田村英里子 真剣 - YouTube
おまけの懐かしい曲:1984年 SALLY バージンブルー
SALLY(サリー)
同曲は、杉本哲太・南野陽子が出演したCM、キリンレモン2101とのタイアップ効果もあり、スマッシュヒット。
当初、デビュー曲は「愛しのマリア」になる予定であったが、作曲家の鈴木キサブローが「さらに良いものができた」と持ってきたのがバージンブルーのサビフレーズだった。そのキャッチーなサビ部分がCM起用に決定したため、急遽その前後のメロディーを制作した。
市松模様の衣装や髪型、バンド構成、曲調等、コンセプトがチェッカーズに似ており、「第二のチェッカーズ」と呼ばれることもしばしばあった(これについては徳光和夫が音楽番組ザ・トップテンでの発言など)。
1986年5月27日、解散。
(出典:Wikipedia)
SALLY バージンブルー - YouTube
この曲が流行った頃、HONDA車の真っ赤なプレリュードXXを走らせカーステで何回もリピート再生してたあの頃に戻りたい・・・という方もいっぱいいるのでは。
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