村上豊
村上 豊(むらかみ ゆたか、1936年6月14日‐)は静岡県出身の画家。
静岡県立三島南高等学校卒業後、デザイン会社、三島市役所職員を経て、1960年に、当時直木賞を受賞した司馬遼太郎の週刊サンケイの連載小説「風の武士」で挿絵デビューとなる。以後、多くの小説家の週刊誌・新聞の連載の挿絵や、絵本の原画・書籍の装幀を多く手掛ける。1962年には「小説現代」の創刊号から表紙の挿絵を担当し現在に至っている。(wikipediaより)
静岡県立三島南高等学校卒業後、デザイン会社、三島市役所職員を経て、1960年に、当時直木賞を受賞した司馬遼太郎の週刊サンケイの連載小説「風の武士」で挿絵デビューとなる。以後、多くの小説家の週刊誌・新聞の連載の挿絵や、絵本の原画・書籍の装幀を多く手掛ける。1962年には「小説現代」の創刊号から表紙の挿絵を担当し現在に至っている。(wikipediaより)
村上さんはさまざまな作品を手がけられているので、これももし教科書をごらんになって気づかれた保護者の方がいたらきっと驚いていたんじゃないでしょうか。
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■誰もが知ってる絵本画家が50年前に教科書の挿絵を描いていた!
実は、筆者がこの光村教科書について書きたいと思ったのは、この「チックとタック」の挿絵を描いた方のお名前を知ったことがきっかけでした。
ひらがなで「あんのみつまさ」と書いてありますが、「安野光雅」さんのことですよ!
安野 光雅(あんの みつまさ、1926年3月20日 - )は、日本の画家、装幀家、絵本作家、元美術教員。島根県鹿足郡津和野町出身。現在は東京都小金井市在住。文化功労者。
子供の頃より、画家への夢を抱き、美術のみならず、科学・数学・文学などにも造詣が深く、豊かな知識と想像力を駆使して独創性あふれる作品を発表してきた。原色や派手な色をほとんど使わない淡い色調の水彩画で、細部まで書き込まれながらも落ち着いた雰囲気の絵を描く。(wikipediaより)
子供の頃より、画家への夢を抱き、美術のみならず、科学・数学・文学などにも造詣が深く、豊かな知識と想像力を駆使して独創性あふれる作品を発表してきた。原色や派手な色をほとんど使わない淡い色調の水彩画で、細部まで書き込まれながらも落ち着いた雰囲気の絵を描く。(wikipediaより)
筆者は昭和44年に一年生で、そのときに「チックとタック」に触れたことになりますが、まさかこのイラストが安野光雅さんだったとは…40年以上経って初めて知り驚きましたが、それと同時に、子供のころに安野さんの絵に接していたとは、なんと贅沢なことなんだとも感じました。
いかがでしたか?
光村の国語の教科書の挿絵はどれも水準が高いということがよくわかりますよね。
もしかしたらわたしたちは自然と美術・イラストを見る目が養われていたのかもしれません!
光村の教科書についてはもっと書きたいことはたくさんありましたが、ひとまず今回はここまでとさせていただきます!
光村の国語の教科書の挿絵はどれも水準が高いということがよくわかりますよね。
もしかしたらわたしたちは自然と美術・イラストを見る目が養われていたのかもしれません!
光村の教科書についてはもっと書きたいことはたくさんありましたが、ひとまず今回はここまでとさせていただきます!
村上豊・絵
昭和46~51年度版 「新国語六年下」