清水由貴子さんの生い立ち、父の他界から、デビューまで
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裕福とは言えない家庭の経済状況の中で、清水由貴子は、最大限の努力を惜しまず、自分の道を切り開いてきました。
1975年、東京都立京橋商業高等学校に入学した、由貴子に転機が訪れます。学校内でオーディション番組に応募した生徒がいるという話を耳にした由貴子は、9月に『スター誕生!』に応募、10月に予選大会に出場し合格します。
1975年、東京都立京橋商業高等学校に入学した、由貴子に転機が訪れます。学校内でオーディション番組に応募した生徒がいるという話を耳にした由貴子は、9月に『スター誕生!』に応募、10月に予選大会に出場し合格します。
清水由貴子 スター誕生最終回
1976年に2月に行われる第16回決戦大会に出場が決まりました。
決戦大会では、母親は、娘のために無理をして新品のギターを購入しました。清水由貴子はそのギターを弾きながら、イルカの『なごり雪』を歌い最優秀賞を獲得、芸能プロダクションやレコード会社など14社からスカウトのプラカードが上がりました。
決戦大会では、母親は、娘のために無理をして新品のギターを購入しました。清水由貴子はそのギターを弾きながら、イルカの『なごり雪』を歌い最優秀賞を獲得、芸能プロダクションやレコード会社など14社からスカウトのプラカードが上がりました。
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この決戦大会には、後に「ピンク・レディー」としてデビューする根本美鶴代と増田恵子も参加していました。清水由貴子は二人を制し、グランドチャンピオンに輝いたのです。
芸映に所属して歌手デビューを果たすが…。
清水由貴子プロモーションビデオ
その後、期待の新人を売り出すための会議や準備に1年の時間を費やします。
1977年(昭和56年)3月1日にCBS・ソニーから「お元気ですか」で清水由貴子は、歌手デビューしました。キャッチフレーズは「ほほえみスイング まごころハミング」
1977年(昭和56年)3月1日にCBS・ソニーから「お元気ですか」で清水由貴子は、歌手デビューしました。キャッチフレーズは「ほほえみスイング まごころハミング」
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清水由貴子は芸能プロダクションの芸映(げいえい)に所属が決まりました。
当時の芸映プロダクションには西城秀樹や浅田美代子が所属していました。1975年に岩崎宏美が、1976年には角川博がデビューしています。また清水由貴子がデビューした1977年に、岸本加世子もデビュー、TBS・水曜劇場「ムー」に出演しています。
当時の芸映プロダクションには西城秀樹や浅田美代子が所属していました。1975年に岩崎宏美が、1976年には角川博がデビューしています。また清水由貴子がデビューした1977年に、岸本加世子もデビュー、TBS・水曜劇場「ムー」に出演しています。
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清水由貴子は、新人賞レースに破れていた
狩人&フレッシュ3人娘
清水由貴子は、同じ年にデビューした榊原郁恵・高田みづえと共に「フレッシュ3人娘」と呼ばれていました。
1977年の新人賞レース、清水健太郎・高田みづえ・狩人、太川陽介・榊原郁恵で争われました。清水由貴子は、第8回日本歌謡大賞新人賞ほか数々の新人賞を受賞したものの『日本レコード大賞』には、わずかな差でノミネートされませんでした。
清水由貴子が新人賞候補に落選したときに最後まで戦った相手が所属する事務所は、最大手のサンミュージック(太川陽介)とホリプロ(榊原郁恵)でした。
最優秀新人賞は、清水健太郎が受賞しました。
その年の第19回『日本レコード大賞』は、沢田研二の『勝手にしやがれ』が受賞。第8回日本歌謡大賞、第10回日本有線大賞も受賞しています。
1977年の新人賞レース、清水健太郎・高田みづえ・狩人、太川陽介・榊原郁恵で争われました。清水由貴子は、第8回日本歌謡大賞新人賞ほか数々の新人賞を受賞したものの『日本レコード大賞』には、わずかな差でノミネートされませんでした。
清水由貴子が新人賞候補に落選したときに最後まで戦った相手が所属する事務所は、最大手のサンミュージック(太川陽介)とホリプロ(榊原郁恵)でした。
最優秀新人賞は、清水健太郎が受賞しました。
その年の第19回『日本レコード大賞』は、沢田研二の『勝手にしやがれ』が受賞。第8回日本歌謡大賞、第10回日本有線大賞も受賞しています。
ビデオリサーチによる第19回『日本レコード大賞』平均視聴率は50.8%、日本レコード大賞史上最高の視聴率を記録しました。昭和の時代の大晦日といえば日本レコード大賞と紅白歌合戦が一大イベントでした。
また、この当時から、大賞受賞曲の選定についての疑惑が持ち上がりました。
また、この当時から、大賞受賞曲の選定についての疑惑が持ち上がりました。
清水由貴子の水着画像
清水由貴子さんの水着姿はあまり見たことがありません。
いくつかの水着画像が残されています。
いくつかの水着画像が残されています。
清水由貴子のテレビCM「ヤクルトCM」
清水由貴子は、明るく健康的なイメージです。カルビー「かっぱえびせん」、ヤクルト「ヤクルト」、ライオン「ディスポ、ピロフィックス、キッチンブライト」他、数々のTVCMに出演しています。
'88-93 清水由貴子ヤクルトCM集 (追加・再編集)
CMに登場する清水由貴子は、やや太めの体形で、明るい肝っ玉母さん役を演じていました。
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愛称は「ユッコ」。
1959年(昭和34年)9月7日、東京の浅草出身。1965年(昭和40年)に足立区の竹ノ塚団地に転居、その後再び浅草駒形へ転居。
1968年(昭和43年)、9歳の時に父が他界。
1972年(昭和47年)に蔵前中学校入学。卓球部副部長を務め、区大会個人戦三回戦まで出場しました。アルバイトをして中古ギター購入するほどフォークソングが好きの少女でした。