雷波少年系アジアの歌姫
世界に演歌を広めるべく女優の室井滋が、演歌歌手役で出演した映画『のど自慢』で歌った歌のカセットテープをアジア各国へ自ら売り歩く企画であった。
スタートはタイのドエンカ(どえんか→ど演歌)村。
行き先は目隠しした状態でダーツを行い、用意した地図に矢が刺さった国を渡り歩くことが決められていた。
ルールとしては、日本人に売却するのは禁止、売価は自由であった。このため、アラブ諸国の富裕層に売却した際は、日本のシングルCDの当時の価格をはるかに上回る値段で売却したこともある。
企画終盤に投げた矢がアジア圏内を大きく外れてカリブ海周辺に当たってしまい、急遽『雷波少年系カリブの歌姫』と企画が変更される。
だが室井が仕事の都合で帰国することになり、この企画は中止となった。
一応、日を改めてカリブの歌姫を再開すると解説はあったが、その内容は、室井がロシアにて目隠しをされたままカリブーに乗ったあと悲鳴をあげるという、いわゆるダジャレ企画であった。
なおこの企画は、後述のラストツアーを行うBluem of Youthに対し、室井がカレーの差し入れを行う企画へつなげるためのものであった。
雷波少年 室井滋歌姫 ブルームあさって武道館SP 1/3 - YouTube
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雷波少年系ラストチャンス
電波少年は、猿岩石の「白い雲のように」や爆風スランプの「旅人よ」をヒットさせた。
雷波少年で忘れられない曲と言えば、やはりサムシングエルスの「ラストチャンス」だろう。
まさにラストチャンス(番組が勝手に決めたものだが・・・)だった彼らの企画を振り返る。
雷波少年で忘れられない曲と言えば、やはりサムシングエルスの「ラストチャンス」だろう。
まさにラストチャンス(番組が勝手に決めたものだが・・・)だった彼らの企画を振り返る。
デビューシングルを超えるセールスを記録できず低迷。レコード会社との契約切れの危機に立たされていた折、日本テレビの人気番組『雷波少年』から起死回生のチャンスともいえる白羽の矢が立つ。
「三人で一つの部屋にこもり運命の一曲を制作。
その一曲を次のシングルとしてリリースし、そのシングルがオリコン初登場20位以内に入らなければバンド解散・音楽業界以外の職種に転職」という条件だった。
雷波少年 サムエルCD順位発表 アジアの歌姫SP 1/3 - YouTube
12:20~ 「雷波少年系ラストチャンス」のコーナー
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1998年12月23日に運命のCD「ラストチャンス」が発売され、20万5340枚を売り上げ1999年1月6日付のオリコン初登場2位(その週の1位は産休から復帰後の安室奈美恵。
またこの週ボーダーラインとなる20位の売上は2万6500万枚だった)を記録。これによりユニットの存続が決定した。
因みに「ラストチャンス」は初登場の翌週にはオリコン1位を記録し、最終的にはミリオンセラーとなり第50回NHK紅白歌合戦にも出場した。
[LIVE] Something ELse - ラストチャンス - YouTube
貴重なライブ映像
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歌詞の出だし、「知らぬ間に電車は走りだしてた」は、番組に乗せられてた自分達を歌っているようだった(笑)。しかし、ラストチャンスを見事に掴んだサムシングエルス。
他のコーナーに出演した芸人やタレントにも、等しくチャンスが与えられていた番組だった。
電波少年同様、他人の生活を覗き見るような妙な番組だったが、テーマや編集が秀逸で人気を獲得した。
他のコーナーに出演した芸人やタレントにも、等しくチャンスが与えられていた番組だった。
電波少年同様、他人の生活を覗き見るような妙な番組だったが、テーマや編集が秀逸で人気を獲得した。