日々の激しい戦いの中で、遂に身体が悲鳴を上げてしまいました。一時は歩くことも困難なほどの腰痛に襲われ、苦難の末1997年8月17日『福岡晶』選手との戦いを最後にリングを去ることになりました。
【JWP女子プロレスで引退~アルシオンでカムバック】
引退試合の相手を務めたのは「ひーちゃんず」として「矢樹広弓」さんと共に3人ユニットのリーダー、「福岡晶」選手でした。当時JWP女子プロレスのファンにとってこの日は「JWPの長い一日」と言われています。8月15日の試合中の事故で『プラム麻里子』選手が意識不明の重体に陥り、翌16日に帰らぬ人となり、会場全体が重く深い悲しみに包まれ昼夜興行が開催された日でした。その中での引退試合、形は違えど立て続けにJWPから選手が去っていく悲しみに満ちた日でした。
JWP キャンディー奥津 引退試合 福岡 晶 VS キャンディー奥津
1995年8月17日、後楽園ホールでの昼夜興行で行われた引退試合。対戦相手の福岡晶選手は涙を流しながら試合をしているのが分かります。
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女子プロレスの未来を背負う逸材がリングを去り、対抗戦の「第4波」も終わり遂には女子プロレス界の雄として君臨していた『全日本女子プロレス』が崩壊という結末を迎えました。しかしまだ女子プロレスの火は消えていませんでした。1998年1月、元全日本女子プロレスの敏腕プロデューサーであるロッシーこと「小川宏」氏が新団体『アルシオン』を設立。奇しくもその旗揚げメンバーとしてJWPを退団後、ジムのインストラクターをしていたキャンディー奥津へ復帰のオファーを送ったのでした。同団体は純粋な女子プロレスの枠を越えて、関節技なども多用するマニアック性とエンターテインメントを兼ね備えたスタイルを軸として2月18日に後楽園ホールで堂々の旗揚げを果たしました。キャンディー奥津の復帰に度肝を抜かれた人も多かったはずですが、一番ショックを受けたのはJWPではなかったでしょうか。アルシオンでは写真集やグラビア等の活動も行ないましたが、やがて古傷の再発で2001年1月5日2度目の引退となり、以来リングには上がっていません。
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