ボディコン
ボディ・コンシャス、略してボディコン。こう略すのは日本だけでしょうが、バブル期に多くの男性がよだれを垂らしながら眺めていた女性ファッションですね。
で、そのボディコンと対をなすのがワンレングス。略してワンレンですね。これも、こう略すのは日本だけでしょうが、80年代後半から90年代前半は日本全国で猛威を振るいました。
このファッションを当時見事に体現していたひとりが田中美奈子。
このファッションを当時見事に体現していたひとりが田中美奈子。
via www.amazon.co.jp
この写真集でのヘアスタイルは、ワンレンの発展系(?)でトサカ前髪と呼ばれたものですね。この後、前髪はどんどん高くなっていき、その高さを競うようになります。どこで競っていたかといえば、そう、ディスコのお立ち台ですね。ジュリアナはその象徴とえます。
なんか凄みすら感じますね。世の男性たちがよだれを垂らしていたというのも納得でしょう。で、その後ボディコンは徐々に水商売の制服となっていくのでした。
ところでこのボディコン、そもそも誰が考え出したのか知ってますか?今となっては歴史をひも解く感じですが調べました。
ところでこのボディコン、そもそも誰が考え出したのか知ってますか?今となっては歴史をひも解く感じですが調べました。
アズディン・アライア
時は1981年。場所はミラノ・コレクション。身体にぴったりとフィットしたドレスをアズディン・アライアというデザイナーが発表しました。これがボディ・コンシャススタイルと呼ばれ、ボディコンの始まりとされています。
なんとも優雅なドレスですね。アズディン・アライアはチュニジアの首都チュニスに1940年2月26日に生まれたファッションデザイナーです。実家は小麦農家で、若い頃は彫刻家になることを夢見て勉強していたそうですよ。が、ほどなくして挫折。
ファッションの道へと方向転換し、仕立屋の見習いから始めパリへ移ったのは1957年のことです。その後すぐにクリスチャン・ディオールで働きはじめ徐々に頭角を現していきます。
ファッションの道へと方向転換し、仕立屋の見習いから始めパリへ移ったのは1957年のことです。その後すぐにクリスチャン・ディオールで働きはじめ徐々に頭角を現していきます。
自分自身のアトリエを持ったアズディン・アライアは独自の服を作るれるようになり、グレタ・ガルボやマリエ・ヘレン・デ・ロスチャイルドなど多くのセレブたちに愛用されるようになりました。
もっともドレスばかりではなく一般的な服ももちろん発表していて、そちらの方が日本でいうところのボディコンのイメージに近いですね。
もっともドレスばかりではなく一般的な服ももちろん発表していて、そちらの方が日本でいうところのボディコンのイメージに近いですね。
スーツは確かにグッときますが、体のラインがより強調されるということではニット。これはやはり男性にとっては目の保養になりますよね。
via beprice.net
残念ながら2017年11月17日にアズディン・アライアは心臓発作のため急逝しました。77歳だったそうです。回顧展も開催されその影響力の大きさを改めて知ることができます。
AZZEDINE ALAÏA "JE SUIS COUTURIER"
via www.youtube.com
男性がボディコンが好きというと下心を見透かされたように感じてしまいますが、アズディン・アライアの作品を改めてみると、下心なんてとんでもない!もう芸術ですね。
Azzedine Alaia アズディン・アライア展 - Thursday Books
¥27,000
2013年 Le Palais Galliera ハードカバー
フランス語 31.8cm×24cm 201ページ
2013年、Le Palais Gallieraでの 「アズディン・アライア」展カタログ。
フランス語 31.8cm×24cm 201ページ
2013年、Le Palais Gallieraでの 「アズディン・アライア」展カタログ。