『はだしのゲン』とは?
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『はだしのゲン』は、中沢啓治による、自身の原爆の被爆体験を元にした自伝的漫画。同漫画を原作として実写映画やアニメ映画・テレビドラマも製作されている。戦中戦後の激動の時代を必死に生き抜こうとする主人公中岡ゲンの姿が描かれている。
『はだしのゲン』アニメ化にあたって、原作者の中沢啓治さんが漫画・実写映画では描けないような当時の実態を描写したいという意向から、その制作費の一部には中沢啓治さんの私財が投じられています。
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広島の原爆投下50年を迎えた1995年には、特別番組として、アニメ版『はだしのゲン』二作品がローカル枠ながら地上波放送も実現しました。今回の記事ではこちら、アニメ版の内容を中心に振り返っていきます。
アニメ版『はだしのゲン』の本編動画・ストーリー
アニメ版『はだしのゲン』
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舞台は1945年の広島市。戦況の悪化で市民生活が窮乏する中でも、ゲンの一家は家庭菜園の手入れに勤しみ、麦の実りを期待しつつたくましく暮らしていた。だがゲンの父で下駄の絵付け職人である大吉は隣組の竹槍訓練を「こんな事でアメリカに勝てるはずもない」と冷笑するなど、時節柄はばかられる反戦思想を隠そうともしない。そのため中岡家の家族は、町内会長の鮫島や近所から「非国民」扱いされ、納品する下駄を川に投げ込まれたり、麦畑を荒らされるなど様々な嫌がらせを受けた。
中岡家の家族構成は、父の大吉、母の君江、姉・英子、弟・進次とゲンの5人。
昭和20年8月6日朝。小学校の門の前にいたゲンは突然の閃光と爆風で気を失う。偶然にも門の影にいたことで無傷だったが、気が付いてみると町は一面に押しつぶされ、人々は全身の皮が焼け剥がれた姿で呻いている。状況が解らぬまま自宅へもどってみると、自宅も同様に押しつぶされて大吉・英子・進次が木材の下敷きになっている。偶然にも無傷だった君江と再会したゲンは協力して家族を助け出そうとするも果たせず、大吉はゲンに強く生きることを願いつつ、英子や進次とともに火災に巻き込まれ焼け死んでいく。
アニメ版『はだしのゲン2』
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ゲン達は江波(えば)在住で君江の友人のキヨの家に身を寄せ新たな生活を始める。しかしそこでは、キヨの姑や子供達からの迫害に甘んじる。そんな折、ゲンは死んだ弟の進次に瓜二つの少年と出会う。その少年、近藤隆太(こんどう りゅうた)は原爆で両親を失い、原爆孤児の仲間と共に、農家から食糧を盗み飢えをしのいでいた。隆太と初めて会ったゲンは、進次が生きていたのではないかと錯覚する。2回目に会った時、隆太は食糧を盗もうとしていたところを百姓に追い回されていた。ゲンは隆太を助け、君江が隆太を育てることになった。それ以降、隆太はゲンや君江を自分の兄や母のように慕い続ける。
ゲンは江波で仕事を探していたところ、地元の資産家・吉田英造に声をかけられる。連れて行かれた家では、全身大やけどの青年が血を吐き血便を垂らし、大量のウジにたかられていた。その青年・吉田政二(よしだ せいじ)は英造の弟で画家志望生だったが、勤労奉仕に出た広島市内で被爆したのである。英造の妻と娘たちは「ピカドンの毒がうつる」という噂を信じて隔離し、ろくに看病もしない。そこでゲンが政二の世話をまかされることになる。
アニメ版『はだしのゲン』の魅力とは?
原爆のグロテスクな描写
はだしのゲン 原爆投下シーン
※グロ注意
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30年以上前小学校の授業で毎年見せられました。
はっきり言って子供にトラウマを与える内容で、グロくて怖くて、夜寝れなくなったりしました。
これを繰り返し子供に見せようとした先生達には恨みしかありません。嫌な思い出です。
今振り返っても必要以上に恐怖心を与えるような、嫌な作り方をしています。
このアニメのトラウマのせいで、今でも反戦を訴えて活動しているような人達が信用できなくなりました。
まず子供にトラウマを与えるような行為をやめるべきかと。
こんな意見も少なくないアニメ版『はだしのゲン』。当時、この作品を教材として使っていた学校も多かったため、トラウマとして記憶に刻まれているミドルエッジ世代は多いのかもしれませんね。
出版:汐文社
集英社
ほるぷ出版社
中央公論新社 など
掲載:第一部
→週刊少年ジャンプ
第二部
→市民・文化評論・教育評論
連載:1973年~1987年
巻数:全10巻