キリ取り(債権回収)が切っ掛けで!
安藤さんは35日間の逃亡生活の末殺人未遂罪で逮捕され、1961年(昭和36年)前橋刑務所に収監。
トップを失った安藤組は、警察の頂上作戦で幹部が逮捕されるなどあって規模縮小を余儀なくされ、そして3年後の1964年(昭和39年)、出所した安藤組長の意思で組は解散となった。
一部残党は解散後もしばらく東興業(安藤組)を名乗って活動していた。
俳優の道
「血と掟」は大島渚の「悦楽」との二本立て。さらに一年後の「男の顔は履歴書」も併映は「白昼の通り魔」でいずれもヒット。バイオレンスとセックス、東映のプログラムでいえば「ヤクザ映画とポルノ」の鉄板二本立ては、エグさで松竹がその先鞭をつけた pic.twitter.com/W89oRxE3Je
— みぞぐちカツ (@chocoramastudio) May 3, 2015
この作品がヒットを記録し、松竹と契約金2千万円、1本当たりの出演料が看板女優である岩下志麻さんを凌ぐ500万円で専属契約を結んだ。
松竹の子会社であるCAGに所属。
移籍も眼中なし!
1967年(昭和42年)に突然、東映に移籍しました。
この移籍は本来なら五社協定違反であったが、映画界の慣習を知らない安藤さんが松竹に「(五社協定なんて)知らない」と言うと、それで通ってしまった💦
後に松竹・日活・東映各社で多くの主演作を持つように。
登板もシカト
石井監督は含むところもなく、安藤さんとこれ以降の映画でも仕事をしている。
武勇伝は数知れず・・・
現在では完全にOUTだけど安藤さんは俳優となった後も暴力団関係者との交流は続いており、友人がある一家の跡目を襲名した際には、その記念に開かれた賭場に顔を出し、後日警察に逮捕されています。
また、その時に警察署で警察官から著書へのサインを頼まれたというエピソードも。
安藤昇の年賀状。
— 丸三文庫 (@marusanbunko) September 26, 2014
嫁はタモリと間違えた。 pic.twitter.com/3miVfbQ4gP