三國連太郎さん
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個性派俳優として日本映画界を牽引した、日本を代表する俳優・三國連太郎さんも実は役名を芸名にしています。
三國さんは戦後、1950年ごろ闇商売を始めて上京。最初は儲かっていたのですが結果的に失敗し、東銀座を歩いていたところ松竹のプロデューサーにスカウトされました。「大船のスタジオに来てくれないか」という誘いに「電車代と飯代を出してくれるなら行く」と答えたそうです。芸能界に興味があったというより、それだけお金に困っていたのでしょうね。
実はこのスカウトは偶然ではなく、「あなたの推薦するスター募集」という企画に知り合いが写真を送っていたのだとか。
1951年に木下恵介さんの監督映画『善魔』に岡田英次さんの代役として出演し映画デビューしました。この時の役名が三國連太郎で、その後役名に改名しました。
本名は佐藤 政雄(さとう まさお)さんです。
三國さんは戦後、1950年ごろ闇商売を始めて上京。最初は儲かっていたのですが結果的に失敗し、東銀座を歩いていたところ松竹のプロデューサーにスカウトされました。「大船のスタジオに来てくれないか」という誘いに「電車代と飯代を出してくれるなら行く」と答えたそうです。芸能界に興味があったというより、それだけお金に困っていたのでしょうね。
実はこのスカウトは偶然ではなく、「あなたの推薦するスター募集」という企画に知り合いが写真を送っていたのだとか。
1951年に木下恵介さんの監督映画『善魔』に岡田英次さんの代役として出演し映画デビューしました。この時の役名が三國連太郎で、その後役名に改名しました。
本名は佐藤 政雄(さとう まさお)さんです。
松田聖子さん
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松田聖子さんの本名は蒲池 法子(かまち のりこ)といいます。
松田聖子さんは高校時代から歌手に憧れていていくつかのオーディションを受けていたそうです。ですが、両親が厳しく特に父親に反対されていました。また、学校も厳しく芸能活動ができない環境だったのです。
「ミス・セブンティーンコンテスト」の九州大会で優勝したこともあったのですが、全国大会は辞退しました。ですがその九州大会のビデオを見た事務所の人に、別件でスカウトされました。
半年以上父親に反対されていたのですが、歌手になりたいという信念が強く「3年で芽が出なかったら帰ってくる」という条件でようやく歌手を目指して事務所に入ることになりました。
プロダクションが「新田明子」と「松田聖子」という2つの芸名を用意して、「松田聖子」を選びました。
その後「おだいじに」というドラマに出演することになり、名前を覚えてもらうために「松田聖子」という役で出演しました。
厳密にいうと役名を芸名にしたわけではなく、芸名が役名だったということですね。
松田聖子さんは高校時代から歌手に憧れていていくつかのオーディションを受けていたそうです。ですが、両親が厳しく特に父親に反対されていました。また、学校も厳しく芸能活動ができない環境だったのです。
「ミス・セブンティーンコンテスト」の九州大会で優勝したこともあったのですが、全国大会は辞退しました。ですがその九州大会のビデオを見た事務所の人に、別件でスカウトされました。
半年以上父親に反対されていたのですが、歌手になりたいという信念が強く「3年で芽が出なかったら帰ってくる」という条件でようやく歌手を目指して事務所に入ることになりました。
プロダクションが「新田明子」と「松田聖子」という2つの芸名を用意して、「松田聖子」を選びました。
その後「おだいじに」というドラマに出演することになり、名前を覚えてもらうために「松田聖子」という役で出演しました。
厳密にいうと役名を芸名にしたわけではなく、芸名が役名だったということですね。
早乙女愛さん
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早乙女愛さんの本名は瀬戸口 さとみさん。
中学を卒業した年に『週刊少年マガジン』に連載されていた、梶原一騎さんの漫画 『愛と誠』が映画化されることになりそのオーディションを受け、見事合格して芸能界入りしました。
主演は西城秀樹さん。「タダで東京へ行けて、西城秀樹さんにも会える」という理由でオーディションを受けたのだとか。映画はシリーズされるほどのヒット作となり、西城秀樹さんの相手役ということもあり一気に注目を集めました。
この役名が早乙女愛でそのまま役名にしたのでした。その後2000年に芸能界を引退されています。
中学を卒業した年に『週刊少年マガジン』に連載されていた、梶原一騎さんの漫画 『愛と誠』が映画化されることになりそのオーディションを受け、見事合格して芸能界入りしました。
主演は西城秀樹さん。「タダで東京へ行けて、西城秀樹さんにも会える」という理由でオーディションを受けたのだとか。映画はシリーズされるほどのヒット作となり、西城秀樹さんの相手役ということもあり一気に注目を集めました。
この役名が早乙女愛でそのまま役名にしたのでした。その後2000年に芸能界を引退されています。
浅香唯さん
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浅香唯さんの本名は川崎 亜紀さん(現在は結婚して西川姓)です。
浅香唯さんは1984年に少女コミック主催の「ザ・スカウトオーディション'84」に応募。当時「少女コミック」に連載されていた大山和栄さんの「シューティングスター」のヒロイン、浅香唯賞を受賞。これによって芸名が浅香唯になったのです。
実はご本人は芸能界に興味があった訳ではなく、受賞者に贈られる副賞の赤いラジカセが欲しくて応募したのだとか。それで賞を取ってしまうのですからすごいですよね。
漫画の作者である大山さんは「浅香唯はこの子しかいない!」と思ったそうですよ。
この企画はこれで終わりだったのですが、数々のプロダクションからスカウトが来るようになり、中学卒業後に芸能界デビューしました。
翌年の1986年に「スケバン刑事III 少女忍法帖伝奇」に出演し、大ブレイクしました。
浅香唯さんは1984年に少女コミック主催の「ザ・スカウトオーディション'84」に応募。当時「少女コミック」に連載されていた大山和栄さんの「シューティングスター」のヒロイン、浅香唯賞を受賞。これによって芸名が浅香唯になったのです。
実はご本人は芸能界に興味があった訳ではなく、受賞者に贈られる副賞の赤いラジカセが欲しくて応募したのだとか。それで賞を取ってしまうのですからすごいですよね。
漫画の作者である大山さんは「浅香唯はこの子しかいない!」と思ったそうですよ。
この企画はこれで終わりだったのですが、数々のプロダクションからスカウトが来るようになり、中学卒業後に芸能界デビューしました。
翌年の1986年に「スケバン刑事III 少女忍法帖伝奇」に出演し、大ブレイクしました。
河合美智子さん
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河合美智子さんの本名は鈴木 一栄(すずきかずえ)さん。
1983年に映画「ションベンライダー」に出演し映画デビュー。この時の役名が愛称はブルースなのですが本名が河合美智子だったのです。そしてこの役名を芸名にされました。
ちなみに、この映画で永瀬正敏さんもデビューしていますよ。いつもガキ大将にいじめられている3人の中学生が、暴力団に誘拐されたガキ大将を救出するというストーリー。
「ションベンライダー」では主題歌も担当し、歌手デビューも果たしました。
その後、1996年に連続テレビ小説「ふたりっ子」に出演。この時に演じた役が通天閣の歌姫、オーロラ輝子(叶麗子さん)。
河合さんはオーロラ輝子名義で「夫婦みち」を発売すると85万枚のヒットに。その後、オーロラ輝子名義でも活動することになります。
芸名が2つあり、両方とも役名から来ているというのはかなり珍しいケースですね。
1983年に映画「ションベンライダー」に出演し映画デビュー。この時の役名が愛称はブルースなのですが本名が河合美智子だったのです。そしてこの役名を芸名にされました。
ちなみに、この映画で永瀬正敏さんもデビューしていますよ。いつもガキ大将にいじめられている3人の中学生が、暴力団に誘拐されたガキ大将を救出するというストーリー。
「ションベンライダー」では主題歌も担当し、歌手デビューも果たしました。
その後、1996年に連続テレビ小説「ふたりっ子」に出演。この時に演じた役が通天閣の歌姫、オーロラ輝子(叶麗子さん)。
河合さんはオーロラ輝子名義で「夫婦みち」を発売すると85万枚のヒットに。その後、オーロラ輝子名義でも活動することになります。
芸名が2つあり、両方とも役名から来ているというのはかなり珍しいケースですね。
奥菜恵さん
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奥菜恵さんは、1992年に13歳で『パ★テ★オ』で宝田明さんの娘役でドラマデビューしました。芸名は最初から奥菜恵だったのですが、珍しいということでそのまま役名として使われました。松田聖子さんと同じで、役名が芸名になったわけではなく、芸名が役名になったパターンですね。
本名は非公開です。1995年には歌手デビューもされていますが音楽活動は1998年まで。現在も女優として活躍されています。
本名は非公開です。1995年には歌手デビューもされていますが音楽活動は1998年まで。現在も女優として活躍されています。
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