歌唱力を期待されデビューした円谷優子
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円谷優子の主な出演作品
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円谷優子 Oh No
『Oh No』
発売 :1988年
レーベル:VAP
デビュー年の12月に出した2ndシングル。
発売 :1988年
レーベル:VAP
デビュー年の12月に出した2ndシングル。
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円谷優子 せつないかもしれない
『せつないかもしれない』
発売 :1990年
レーベル:VAP
発売 :1990年
レーベル:VAP
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(REMIX VIDEO) CONFUSED MEMORIES / 円谷憂子
『CONFUSED MEMORIES 』
発売 :1997年
レーベル: EMIミュージック・ジャパン
アニメ『金田一少年の事件簿』のオープニングテーマ曲。
発売 :1997年
レーベル: EMIミュージック・ジャパン
アニメ『金田一少年の事件簿』のオープニングテーマ曲。
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中森明菜がミュージックステーションでプッシュしていた
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円谷優子さんが歌手デビューしたのは1988年9月7日、まだ堀越高校在学中のことでした。当時所属していた研音の先輩があの中森明菜さんで、ミュージックステーション出演時に彼女自身が円谷優子さんのことをプッシュしています。これからデビューする円谷優子さんを同じ事務所の先輩として、「とても歌の上手い子なので」と高く評価し、「応援してくださいね」と話していたそうです。結果的にはヒットに恵まれなかったものの、音楽評論家の能地祐子(のうじ ゆうこ)さんは、高い歌唱力がありながらも芸能界で大きく活躍出来なかった円谷優子さんの才能を惜しんでいました。
康珍化と小室哲哉がプロデュース
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現役だった頃の円谷優子さんは、2人の音楽プロデューサーからプロデュースを受けています。そのうちの1人が康 珍化(かん ちんふぁ)さんで、『HELP』『OH-NO』など数多くのシングル・アルバムの作詞を手掛けました。円谷優子さんは、康 珍化さんから厳しい歌唱指導を受けていたそうです。彼女の歌唱力は、康 珍化さんの熱血指導によって更に良い方向に伸びていったのでしょう。そして康 珍化さんの次に円谷優子さんをプロデュースしたのが、絶大な支持を得ていた小室哲哉さんです。彼のプロデュースによりリリースした『Mystery of Sound』はヒットを記録。1996年12月のオリコンで19位にランクインし、約5万枚の売り上げを誇りました。小室哲哉プロデュースのもう一つのシングル『CONFUSED MEMORIES』と共に、アニメ『金田一少年の事件簿』の主題歌に採用されています。ただ、当時の小室哲哉さんは多くのアーティストを請け負っていたので、誰が小室プロデュースなのかが判別しにくいほど乱立状態にありました。大ヒットにならなかったのには、こうした背景もあったものと思われます。
引退以降、再評価の波や声が上がってきている
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円谷優子さんは1988年から1998年まで、長きに渡り歌手活動を続けてきました。現役時代は複数のシングル・アルバムをリリースするもヒットには恵まれず、1998年に円谷プロダクションの社員と結婚し引退しています。ただ、切ないながらも底力も感じさせる彼女の歌唱力は、一定の評価を得ていました。また、少し固めの声質やずば抜けた感情表現も功を奏し、数多くの隠れた名曲が現在に残っています。結果的には思うように売れずに引退となりましたが、様々なタイミングが合わなかったのでしょう。引退後は彼女の歌を評価する声や波も徐々に増えてきているようです。
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出生名 :円谷優子(本名同じ)
生年月日:1970年9月14日
血液型 :O型
身長 :159cm
出身地 :東京都世田谷区
職業 :女優、歌手、アイドル
活動期間:1988年~1998年