長崎 宏子(ながさき ひろこ)プロフィール
via www.sbrain.co.jp
本名 春日 宏子(旧姓 長崎)
生年月日 1968年7月27日(53歳)
出身 秋田県秋田市
元女子水泳選手、平泳ぎの選手
生年月日 1968年7月27日(53歳)
出身 秋田県秋田市
元女子水泳選手、平泳ぎの選手
経歴
via ja.wikipedia.org
1968年7月27日に秋田県秋田市で誕生した長崎さん。
小学校入学と同時に、地元のスイミングスクールに入りスクールでは背泳ぎまで進むのに時間がかかり、そのあと小学3年生で学んだ平泳ぎがコーチから評価されたことで、以降平泳ぎを得意とするようになったと言います。
小学校入学と同時に、地元のスイミングスクールに入りスクールでは背泳ぎまで進むのに時間がかかり、そのあと小学3年生で学んだ平泳ぎがコーチから評価されたことで、以降平泳ぎを得意とするようになったと言います。
ジュニア・オリンピック
小学校5年生時の1979年に学童の大会「ジュニア・オリンピック」に出場したことで、秋田県のスポーツ奨励賞を受賞。
1980年1月の第30回冬季東北水泳選手権では、200m平泳ぎに2分42秒40で優勝し、短水路学童記録を作ったと言います。
その後も日本選手権水泳競技大会の200mで優勝し、オリンピック参加標準記録を上回っていたとか・・・。
1980年1月の第30回冬季東北水泳選手権では、200m平泳ぎに2分42秒40で優勝し、短水路学童記録を作ったと言います。
その後も日本選手権水泳競技大会の200mで優勝し、オリンピック参加標準記録を上回っていたとか・・・。
モスクワオリンピック
via ja.wikipedia.org
1980年には、小学6年生にしてモスクワオリンピック代表メンバーに選ばれました。
しかし、日本はボイコットで無念の不参加となってしまいました、出場していれば夏季五輪では日本人初の小学生五輪選手(冬季は1936年のガルミッシュ=パルテンキルヒェン大会に小学6年で出場したフィギュアスケートの稲田悦子がいる)となっていたんです。
しかし、日本はボイコットで無念の不参加となってしまいました、出場していれば夏季五輪では日本人初の小学生五輪選手(冬季は1936年のガルミッシュ=パルテンキルヒェン大会に小学6年で出場したフィギュアスケートの稲田悦子がいる)となっていたんです。
ロサンゼルスオリンピック
長崎さんは、1984年にロサンゼルス五輪に出場されました。
当時、長崎さんのベストを上回る記録を持っていた東欧の選手が軒並み政治的問題で不参加となり、一躍水泳では唯一と言ってよい金メダル候補と呼ばれていました。
しかし海外の高地練習で泳ぎの生命線というべき膝を故障、その状態でロサンゼルスオリンピック本番を迎え、結果は200m平泳ぎで4位、100m平泳ぎも6位と入賞するものの、期待されたメダルには手が届きませんでした。
当時、長崎さんのベストを上回る記録を持っていた東欧の選手が軒並み政治的問題で不参加となり、一躍水泳では唯一と言ってよい金メダル候補と呼ばれていました。
しかし海外の高地練習で泳ぎの生命線というべき膝を故障、その状態でロサンゼルスオリンピック本番を迎え、結果は200m平泳ぎで4位、100m平泳ぎも6位と入賞するものの、期待されたメダルには手が届きませんでした。
アメリカ留学
via www.photo-ac.com
1985年に秋田北高校を中退してアメリカに留学されます、世間からは「水泳留学」といわれたが、小学6年で初めて海外遠征に行った際に一緒になったアメリカ育ちの選手に憧れ、それ以来アメリカに留学して英語を勉強する希望を持っていたと長崎は雑誌の取材で述べていました。
ソウルオリンピックの代表選考会
【1988年ソウルオリンピック】競泳 長崎宏子
via www.youtube.com