【1945年生まれ】2025年で80歳だった・・・若くして亡くなった著名人を偲ぶ
2025年3月16日 更新

【1945年生まれ】2025年で80歳だった・・・若くして亡くなった著名人を偲ぶ

2025年は、1945年生まれの人がちょうど80歳を迎える年です。1945年生まれの著名人の中には、お茶の間では誰もが知るおなじみの顔ながら、30代から60代で惜しまれつつ亡くなった人が多く見られます。今回は、10年以上前に亡くなった著名人7名を偲びます。

4 view

ボブ・マーリー

生年月日:1945年2月6日
没年月日:1981年5月11日(36歳没)


ボブ・マーリーは、ジャマイカ出身のレゲエ・ミュージシャンで、レゲエ音楽の先駆者・開拓者の一人です。没後40年以上経った今も、「レゲエの神様」として現代のミュージシャンに影響を与えています。

ボブ・マーリーは、1963年にウェイラーズを結成。その後は、ボブ・マーリー主体のグループとなり、彼が亡くなるまでボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズとして活動を続けました。1984年にリリースしたベスト・アルバム『レジェンド』は、2025年現在、世界で最も売れたレゲエ・アルバムとして知られています。最も有名な楽曲は、1974年にリリースした『ノー・ウーマン、ノー・クライ』でしょう。

1981年、脳腫瘍のため36歳の若さで逝去。

ボブ・マーリー

Bob Marley & The Wailers - No Woman, No Cry (Live At The Rainbow 4th June 1977)

山口豪久

生年月日:1945年1月25日
没年月日:1986年4月6日(41歳没)


ミドルエッジ世代は、山口豪久という芸名よりも、かつての芸名・山口暁で覚えている人が多いのではないでしょうか。

山口の代表作といえば、1973年の『仮面ライダーV3』で演じた結城丈二=ライダーマン。『V3』の企画時に、プロデューサーの平山亨に「仮面ライダー」への出演を直訴したところ、後にライダーマンのオファーがあったといいます。

実は、山口は、ライダーマンを演じる以前から、すでに実績のある俳優で、『忍者部隊月光』、『特別機動捜査隊』、『刑事くん』などの人気ドラマにレギュラー出演していました。『V3』の後は、1974年の『電人ザボーガー』で初主演を務め、カンフーアクションの演技で話題になりました。

1986年、肝臓癌のため41歳の若さで急逝。

山口暁(山口豪久)

仮面ライダー ライダーマン Kamen Rider Riderman (1973)

大杉勝男

生年月日:1945年3月5日
没年月日:1992年4月30日(47歳没)


大杉勝男は、東映フライヤーズ、ヤクルトスワローズで活躍したプロ野球選手です。

東映時代は、張本勲と共に3・4番を打つ強打者として活躍し、1970年には44本塁打、129打点で打撃二冠を獲得しました。1975年にヤクルトへ移籍。1978年には、球団史上初のリーグ優勝・日本一を達成しています。日本シリーズではMVPを獲得しましたが、第7戦の疑惑のホームランは、阪急・上田監督の抗議で1時間19分も試合が中断する歴史的事件となりました。

2025年現在、通算本塁打486本、通算打点1507点は共に歴代9位の記録です。

1992年、肝臓癌のため47歳の若さで逝去。1997年に、野球殿堂入りを果たしました。

大杉勝男

【 大杉勝男 プロ野球ニュース 逝去日当日の追悼番組 】1992/04/30

逸見政孝

生年月日:1945年2月16日
没年月日:1993年12月25日(48歳没)


逸見政孝は、1970年代〜1990年代に活躍したアナウンサー、タレント、司会者です。

早稲田大学第一文学部演劇学科を卒業後、1968年にフジテレビにアナウンサーとして入社。『3時のあなた』のサブ司会者、『FNNスーパータイム』のメインキャスターを務め、『金メダルへのターン!』や『ミラーマン』ではアナウンサー役を演じるなど、局アナ時代から多才な一面を見せていました。1988年にフリーに転身『たけし・逸見の平成教育委員会』、『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』など、人気バラエティ番組の司会者として人気を博しました。

1993年9月6日、逸見は記者会見でがんを公表。9月16日に13時間におよぶ大手術を受けましたが、12月25日、がん性悪液質のため48歳の若さで逝去しました。

没後、妻の逸見晴恵が『ガン再発す』を出版しています。

逸見政孝

93年9月 逸見政孝さん ガン告白会見1

粟津號

生年月日:1945年6月18日
没年月日:2000年3月15日(54歳没)


粟津號(あわづごう)は、1968年に俳優としてデビュー。1971年からは神代辰巳監督との交流をきっかけに、日活ロマンポルノ作品に出演するようになり、日活ロマンポルノ全盛期の15年以上にわたり活躍しました。

彼の個性的な演技は高い評価を受け、その後は、数多くの人気ドラマ・映画に出演。代表作は、『大都会 闘いの日々』、『大都会 PARTII』などで、特に『太陽にほえろ!』では、竜雷太演じる石塚刑事を射殺する犯人役を演じ、視聴者に強烈な印象を植え付けました。

2000年、胃癌のため54歳の若さで逝去。

粟津號(サムネは渡哲也)

「大都会 PARTⅡ」DVD-BOX 8月4日(水)発売 プロモーション映像

三木たかし

生年月日:1945年1月12日
没年月日:2009年5月11日(64歳没)


三木たかしは、日本の歌謡界を代表する作曲家で、歌手の黛ジュンは実妹です。

1968年、妹に提供した『夕月』がオリコン2位の大ヒットを記録し、その後は、作曲家として歌謡界の第一線で活躍するようになります。特に、阿久悠や荒木とよひさなど人気作詞家とのコンビで、数々の名曲を生み出しました。

代表作は、石川さゆりの『津軽海峡・冬景色』、岩崎宏美の『思秋期』、西城秀樹の『ブーメランストレート』、わらべの『めだかの兄妹』、『もしも明日が…。』、テレサ・テンの『つぐない』、『時の流れに身をまかせ』、坂本冬美の『夜桜お七』、さらには、アニメ主題歌の『アンパンマンのマーチ』など、誰もが知る人気曲ばかりで、ジャンルも多岐にわたります。

2009年、下咽頭がんのため64歳で逝去。

三木たかし

聴かせて 歌:三木たかし(テレサ・テンに捧げた歌)

逢坂じゅん

生年月日:1945年7月2日
没年月日:2014年5月8日(68歳没)


レツゴーじゅんこと、逢坂じゅんは、1968年にお笑いトリオ「レツゴー三匹」を結成。当初は、正児・じゅん・一修の三名でしたが、一修の脱退に伴って長作を迎え入れ、お馴染みのトリオとなりました。舞台を走り回る体を張ったネタや、正児の「三波春夫でございます」のボケは定番で、1960〜1980年代にかけて人気を博しました。

1991年、脚本家の逢坂勉門下に入り、芸名「逢坂じゅん」の名で俳優としても活躍。連続テレビ小説『ごちそうさん』や日曜劇場『半沢直樹』など、数多くの人気ドラマに出演しました。

2014年、脳出血のため68歳で逝去。2018年にレツゴー長作、2020年にレツゴー正児も亡くなっており、レツゴー三匹の全員が鬼籍に入りました。
21 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント
  • コメントはまだありません

    コメントを書く
    ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

【阿久悠&三木たかし】史上最強の作詞作曲コンビ!全458作品の中から名曲7選

【阿久悠&三木たかし】史上最強の作詞作曲コンビ!全458作品の中から名曲7選

昭和歌謡を代表する作詞家・阿久悠と作曲家・三木たかし。二人がコンビを組み、生み出した作品は全458曲に上ります。2007年に阿久悠が、2009年に三木たかしが相次いで亡くなりましたが、今も二人の曲は歌い継がれ、日本人の心に生き続けています。数多ある作品の中から、今回は昭和にヒットした7曲をご紹介します。
izaiza347 | 527 view
【追悼】日活ロマンポルノで初期から後期にかけて活躍した俳優『粟津號』!!

【追悼】日活ロマンポルノで初期から後期にかけて活躍した俳優『粟津號』!!

日活ロマンポルノの初期から後期にかけて活躍した俳優の粟津號さんが、 2000年に僅かの若さでお亡くなりになっています。追悼の意味も含めてまとめてみました。
ギャング | 5,282 view
逸見政孝さんの癌告白会見【マスコミに発表した『許される嘘』】

逸見政孝さんの癌告白会見【マスコミに発表した『許される嘘』】

1993年9月6日、日本テレビ麹町本社で行われた逸見政孝さんによる記者会見。冒頭、「私が今、侵されている病気の名前、病名は、癌です」との発言から始まった同会見。続けて、同年2月に入院した際に発表した病名について「大変申し訳無かったんですが、嘘の病名を発表しました。」と謝罪しています。その理由とは?
往年のゴールデンタイム番組を進行した名司会者が大集合!どの司会者の全盛期が見てみたい?

往年のゴールデンタイム番組を進行した名司会者が大集合!どの司会者の全盛期が見てみたい?

ゴールデンタイムを彩った数々のバラエティ番組で活躍した名司会者たち。それぞれの全盛期は異なれど、もう一度みたい司会者といえば誰!?アンケート結果の発表です~^^/
V3でサブキャラ「ライダーマン」を演じた結城丈二 こと『山口豪久』の生涯!!

V3でサブキャラ「ライダーマン」を演じた結城丈二 こと『山口豪久』の生涯!!

1973年『仮面ライダーV3』に結城丈二役でライダーマンを演じた山口豪久さん数々の特撮ヒーロー物に出演されました。1986年4月6日、41歳の若さでお亡くなりになりました。その生涯を追ってみました。
ギャング | 26,985 view

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト