【阿久悠&三木たかし】史上最強の作詞作曲コンビ!全458作品の中から名曲7選
2023年3月4日 更新

【阿久悠&三木たかし】史上最強の作詞作曲コンビ!全458作品の中から名曲7選

昭和歌謡を代表する作詞家・阿久悠と作曲家・三木たかし。二人がコンビを組み、生み出した作品は全458曲に上ります。2007年に阿久悠が、2009年に三木たかしが相次いで亡くなりましたが、今も二人の曲は歌い継がれ、日本人の心に生き続けています。数多ある作品の中から、今回は昭和にヒットした7曲をご紹介します。

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みずいろの手紙 / あべ静江

リリース日:1973年9月25日
編曲:三木たかし


『みずいろの手紙』は、あべ静江の2枚目のシングルで、デビュー曲の『コーヒーショップで』に続く、阿久悠&三木たかしコンビの作品です。前曲はオリコン9位(年間38位)、本曲はオリコン7位(年間98位)で、2曲続けてトップ10ヒットを記録しました。本曲で、歌手生活唯一の紅白歌合戦出場を果たしています。

冒頭のセリフ「お元気ですかそして 今でも愛しているといって下さいますか」が有名ですが、紅白歌合戦では、「全国の皆様お元気ですかそして 今年も紅組が勝つといって下さいますね」と替え歌にして話題になりました。

みずいろの手紙 / あべ静江

73'「コーヒーショップで」「みずいろの手紙」74'「秋日和」75'「私は小鳥」あべ静江

木枯しの二人 / 伊藤咲子

リリース日:1974年12月1日
編曲:三木たかし


伊藤咲子は、1973年に「スター誕生!」で優勝すると、翌1974年に『ひまわり娘』でデビュー。『木枯しの二人』は3枚目のシングルで、シングルの作曲を初めて日本人(三木たかし)が担当しました。(作詞はデビュー以来ずっと阿久悠です。)オリコン5位(年間36位)を記録し、伊藤咲子最大のヒットとなっています。

彼女の代表曲というと『ひまわり娘』が取り上げられることが多いですが、本曲の方が印象深い人も多いことでしょう。因みに、"こがらし" の送り仮名は、一般には「木枯らし」ですが、本曲に関しては「木枯し」が正しい表記です。

木枯しの二人 / 伊藤咲子

伊藤咲子 - 木枯らしの二人

津軽海峡・冬景色 / 石川さゆり

リリース日:1977年1月1日
編曲:三木たかし


石川さゆりの曲で、初めて阿久悠&三木たかしコンビが手がけたのが、1976年4月にリリースした12枚目のシングル『十九の純情』。そして、初めてのヒット曲となったのが、15枚目のシングル『津軽海峡・冬景色』です。FNS歌謡祭では、最優秀グランプリ、最優秀歌唱賞、最優秀視聴者賞の3部門を受賞しました。今日も歌い継がれる "演歌の名曲中の名曲" です。

本曲の詞は、「北の玄関口・上野駅から夜行列車に乗り、雪降る青森駅で下車。青函連絡船に乗って北海道へ渡航」という情景を描いたものです。歌詞に登場する青森県の竜飛岬には、本曲の歌碑があります。

阿久悠&三木たかしコンビはその後、『能登半島』『暖流』『火の国へ』など、通算9曲のシングルA面曲を手がけました。

津軽海峡・冬景色 / 石川さゆり

津軽海峡冬景色 石川さゆり Ishikawa Sayuri

ブーメランストリート / 西城秀樹

リリース日:1977年3月15日
編曲:萩田光雄


阿久悠&三木たかしコンビは、西城秀樹への楽曲提供が特に多く、シングルからアルバムまで幅広く作品を手がけました。特に、1976年から1977年は、16枚目のシングル『君よ抱かれて熱くなれ』から22枚目のシングル『ボタンを外せ』まで7曲連続で楽曲を提供しています。

『ブーメランストリート』は20枚目のシングルで、オリコン6位(年間63位)を記録しました。冒頭と最後の「ブーメラン ブーメラン ブーメラン ブーメラン」の連呼があまりにも印象的で、西城秀樹といえばこの曲という代表曲の一つです。

1992年には本曲のアンサーソングとして、68枚目のシングル『ブーメランストレート』(作詞:阿久悠・T'S PARTY、作曲:三木たかし・多々納好夫、編曲:池田大介)をリリースしています。

ブーメランストリート / 西城秀樹

【高画質】西城秀樹 - ブーメラン・ストリート (1977)

思秋期 / 岩崎宏美

リリース日:1977年9月5日
編曲:三木たかし


『思秋期』は、岩崎宏美の11枚目のシングルで、オリコン6位(年間38位)のヒットを記録しました。彼女にとっても、阿久悠にとっても思い入れのある曲で、レコーディング中、岩崎宏美が詞の内容に気持ちが高揚し、涙で歌えなくなったというエピソードは有名です。当時のことは、阿久悠が自著で次のように語っています。
珍しくレコーディングの立ち会いでスタジオへ行っていたのだが、歌のうまい彼女にしては考えられないミスの連発で、その日は中止になった。ミスと言っても、歌い間違いとか、音がズレるということではなく、泣いて、泣いて、歌えなくなってしまうのである。何度やっても気持ちが異常な昂りを示して、彼女は鳴咽するのである。

(中略)

後になって、岩崎宏美はぼくに、おじさんの年齢のひとが、なぜ私の生活や心情がわかるのか不思議でならなかった、と話したことがあった。
via 阿久悠著『愛すべき名歌たち - 私的歌謡曲史 -』(pp.222-223)
編曲は三木たかしですが、実は、萩田光雄が編曲した別バージョンがあり、当初のシングル候補だったと言われています。後年、レコード化されました。

思秋期 / 岩崎宏美

岩崎 宏美 / 思秋期(2000 OA)

北の螢 / 森進一

リリース日:1984年8月5日
編曲:川口真


『北の螢』は、森進一の62枚目のシングルで、映画『北の螢』(仲代達矢主演、五社英雄監督)の主題歌です。タイトルの "ほたる" は、正確には「蛍」ではなく、旧字体の「螢」が使われています。オリコン22位を記録し、演歌としては上位にランクインしました。

第17回日本作詩大賞では大賞を受賞し、森進一の曲としては2年連続(前年は『冬のリヴィエラ』の松本隆)、作詞家・阿久悠としては6度目の受賞を果たしました。(因みに、阿久悠は通算で8回の日本作詩大賞を受賞しています。)

北の螢 / 森進一

森進一 - 北の蛍
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