via www.mbok.jp
ヤングオートって?
ヨンメリ
via www.youtube.com
1981年に芸文社より創刊された改造車専門誌でチャンプロードより歴史は古く、どちらかというと単車より四輪色が強い雑誌です。
またホリデーオートとライバル的でしたが、ホリデーオートが正統派ならヤングオートはコテコテヤンキー改造車だったのを覚えています。
長きに渡り、改造車を愛する者たちに刺激を与え続けてきたヤングオートは、2001年8月に21年の歴史に幕を降ろしました。
またホリデーオートとライバル的でしたが、ホリデーオートが正統派ならヤングオートはコテコテヤンキー改造車だったのを覚えています。
長きに渡り、改造車を愛する者たちに刺激を与え続けてきたヤングオートは、2001年8月に21年の歴史に幕を降ろしました。
via www.mbok.jp
ヤングオート21年の歴史の中で、’90年前後の時代は、「頂上」とか「黄金時代」といった呼び名がふさわしいほど輝いていた。
’89年登場のZ31や’92年登場のR30スカイラインなどで、「成田レーシング」がFRP時代の幕を開け、九州では「レッドゾーン」のトリコロールZや「ラディカル」のソアラなどにより、「福岡仕様」が花開く。
その一方でハコスカ、ケンメリなどをベースにする旧車系も盛り上がりを見せ、「怪獣ミラージュ(‘88年)」、「バットマン・グロリア(’95年)」、「けん引車高短マークⅡバン(’95年)」などのモンスターマシンが千葉や東海地方から続々誕生。そして、「公認車」という、新たな波も押し寄せて来た。ヤングオートの誌面から当時のクルマとチームを振り返る「名場面プレイバック」のコーナー。などなど
via www.mbok.jp
ヤングオート最大の人気コーナーであった「われらチューニング仲間」に、最も多く登場していただいたチームが、
茨城の「八千代レーシング」だ。
メンバーそれぞれのクルマのレベルが異常に高く、野球で例えるなら、1番から9番までホームラン30本打てる打線(!)といえる内容を誇っていた。
旧車系からFRPを駆使したモンスターマシンまで幅広い改造車のスタイルをそろえてた。
茨城の「八千代レーシング」だ。
メンバーそれぞれのクルマのレベルが異常に高く、野球で例えるなら、1番から9番までホームラン30本打てる打線(!)といえる内容を誇っていた。
旧車系からFRPを駆使したモンスターマシンまで幅広い改造車のスタイルをそろえてた。
とにかく真似る!
via www.mbok.jp
当時はネットが無い時代・・・雑誌や友達が情報源でした。
ヤングオートを見ては、色々真似してました。(笑)
ヤングオートを見ては、色々真似してました。(笑)
姉妹誌Jrヤングオート
特攻服コレクションコーナー
via www.mbok.jp
こんなコーナーもありましたね。
via www.mbok.jp
ボーイコン&ギャルコン
雑誌自体捨ててしまい写真が無いのですが、最終ページの方にボーイコン&ギャルコンっていうのがあり、割と楽しみの一つでした。