この試合中にプラムさんは尾崎魔弓選手からライガーボムを受け、ピンフォール負けとなりますが、事件が起きたのは、その後、プラムさんがピクリとも動かなくなりリングに緞帳(厚手の布)が降りてきて会場は一時騒然となったのです。
そしてプラムさんは直後に意識不明の重体となり、救急車で市内の病院に搬送されました。
お亡くなりに・・・。
生前最後の試合動画は?
ぜひ読んで下さい‼️
— コマンドボリショイ (@piko3purej) August 21, 2021
【週末は女子プロレス#11】24年前のリング禍を風化させるな―プラム麻里子さんから学んだ教訓 [ENCOUNT] https://t.co/yYPD2tJARU#PUREJ pic.twitter.com/6wdsQBxwBk
また当時は、現在の様に携帯やスマホ等普及しておらず、動画を撮っている観客もいなかった様です。
その為、現在残っているのは、週刊プロレスのカメラマンがとらえたプラムさんが救急搬送される時の写真だけだと言います。
死因は急性硬膜下出血・脳挫傷
脳を覆う硬膜下に出血が起こったことで、脳を圧迫するのが「急性硬膜下血腫」です。緊急開頭手術で血腫等を取り除いたと思われますが、ダメージは深刻だったと思われます。
プラム追悼興行
#今日は何の日 #プロレス #プラム麻里子 1997年8月15日広島県立総合体育館で行われた&ボリショイ対尾崎魔弓・天野理恵子で尾崎のライガーボムを受け意識不明の重体となり、翌16日急性硬膜下出血並びに脳挫傷により #死去。29歳。 pic.twitter.com/sDIMgYHaLs
— 【なみなみ】 (@totugekihyuman3) August 16, 2016
命日には
キューティー鈴木さん、尾崎魔弓さん、ダイナマイト関西さん、そしてプラム麻里子さん #JWPpro pic.twitter.com/4i3CQquZXY
— 鱈男 (@tarao0602) April 5, 2017
大会では「プラムの花咲くOZの国」と銘打ち哀悼の意を捧げると共にOZのビッグマッチと位置付けており、現在でも行われていると言います。
更に尾崎選手は事故を契機にプラムさんの慈善事業「プラムズハート」を立ち上げ、2011年の東日本大震災後は団体の枠を越えて多くの選手に呼びかけて、「プラムズハート女子プロレスの会」を結成されています。
墓参り
プラム麻里子選手のお墓参り。
— 井上貴子 (@takacoinoue) August 16, 2021
毎年1つ同じことを聞いてみる。
自分なりに勝手な解釈をする。
無性に逢いたくなるんだな。
時間が経つほどに…#プラム麻里子 pic.twitter.com/f0B6ht0jvS