病気とも戦ってきた女子プロレスラー・ダイナマイト関西が引退!最後の対戦相手はライバル・尾崎魔弓
1986年にジャパン女子プロレスでデビューしたダイナマイト関西。
レスラー生活30周年となった今年3月、膠原病を20年近く抱え、近年は肺がんを患い、肺の左半分を摘出していたことを明かした。
3月20日のOZアカデミー後楽園ホール大会のリング上で、今年いっぱいでの現役引退を発表し、引退ロードを突き進んできた。
そのダイナマイト関西が引退試合を後楽園ホールで行い、最後の相手に同期でライバルの尾崎魔弓を指名。最後の最後まで激しい戦いとなった。
レスラー生活30周年となった今年3月、膠原病を20年近く抱え、近年は肺がんを患い、肺の左半分を摘出していたことを明かした。
3月20日のOZアカデミー後楽園ホール大会のリング上で、今年いっぱいでの現役引退を発表し、引退ロードを突き進んできた。
そのダイナマイト関西が引退試合を後楽園ホールで行い、最後の相手に同期でライバルの尾崎魔弓を指名。最後の最後まで激しい戦いとなった。
via daily.c.yimg.jp
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序盤はダイナマイト関西の重い蹴りが繰り出され、尾崎が倒れたところをキャメルクラッチの体勢に入る。しかし、尾崎のピンチに正危軍が乱入。ダイナマイト関西は容赦ない暴行を受け、防戦一方となった。場外ではイスでめった打ちにされて左側頭部から流血し、チェーンで首を締め上げられるなど大苦戦。
だが終盤、ダイナマイ関西は机をリング内に立てた尾崎を捕らえ、またも岩石落としを放って形勢逆転。さらにグリーンフォール、ダイビングフットスタンプと大技を繰り出すと、最後は自身の代名詞と呼べる必殺技、スプラッシュマウンテンで試合を決めた。
だが終盤、ダイナマイ関西は机をリング内に立てた尾崎を捕らえ、またも岩石落としを放って形勢逆転。さらにグリーンフォール、ダイビングフットスタンプと大技を繰り出すと、最後は自身の代名詞と呼べる必殺技、スプラッシュマウンテンで試合を決めた。
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1986年から活躍してきたダイナマイト関西
1969年12月4日生まれ。京都府京都市出身。身長173cm、体重77kg。血液型B型。
1986年8月17日に後楽園ホール大会クッキー・ズラ戦でデビュー。当時のリングネームはミスA。このリングネームでWCWへも参戦している。
ジャパン女子解散後はJWP女子プロレスに旗揚げから参加し、ライバルのアジャ・コングと激しいバトルを繰り広げ、全女以外の所属選手としては初めてWWWA世界シングル王座を獲得した。
1986年8月17日に後楽園ホール大会クッキー・ズラ戦でデビュー。当時のリングネームはミスA。このリングネームでWCWへも参戦している。
ジャパン女子解散後はJWP女子プロレスに旗揚げから参加し、ライバルのアジャ・コングと激しいバトルを繰り広げ、全女以外の所属選手としては初めてWWWA世界シングル王座を獲得した。
デビューまでのエピソードとしては、全日本女子プロレスのオーディションを受けるが不合格となり、ジャパン女子プロレス第一期生となった経緯がある。また、1986年当時、ミスAの名前で映画『ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎哀歌』に「マンモスのお妙」役で出演している。
1991年8月にダイナマイト関西に改名(その後、「・」(中黒)入りのダイナマイト・関西に改名)。
1991年8月にダイナマイト関西に改名(その後、「・」(中黒)入りのダイナマイト・関西に改名)。
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