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「3M」の一角として活躍!
「ぼくらの七日間戦争」以降もドラマ「青春オーロラ・スピン スワンの涙」での連続ドラマ初主演、シングル「ドリームラッシュ」での歌手デビューなど、破竹の勢いで活動していた宮沢。当時同じく人気アイドルであった観月ありさ、牧瀬里穂とともに「3M」と呼ばれていました。また「ふんどしカレンダー」や写真集「Santa Fe」などは社会現象に。当時マネージャーであった「りえママ」も話題となるなど、80年代後半~90年代前半を代表するトップアイドルとして芸能界に君臨していました。
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そんな宮沢が原点に立ち返ったとも解釈できる、34年の時を経た「三井のリハウス」への再登場。当時宮沢に夢中になった方であれば、是非チェックしておきたいCFと言えるでしょう!
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