生稲晃子ってどんな人?
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「ミス南ちゃん」を逃すも、「おニャン子」で芸能界入り
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当初の生稲晃子さんは、オーディションに落選し続けるなど思うような活動が出来ていませんでした。アイドル雑誌「ザ・シュガー(1984年6月号)」で大きく紹介され、そしてマクドナルドのCMに起用された以外は、なかなかチャンスに巡り合えない時を過ごしています。そんな生稲晃子さんが高校3年生(1986年)だった時に出場したのが、「ミス南ちゃんコンテスト」です。「南ちゃん似」と言われることもあり自信を持って挑んだコンテストですが、グランプリを逃してしまいました。当時芸能事務所に所属していたことから条件に漏れてしまい、帰りの電車内で号泣したエピソードがあります。しかし「ミス南ちゃんコンテスト」への出場がきっかけで、レコード会社からオーディションのオファーが来ました。バラエティ番組「夕やけニャンニャン」内で行われた『おニャン子クラブ』のオーディションです。このオーディションに見事合格したことで、やっと念願の表舞台に立てることになります。
1987年、ユニット『うしろ髪ひかれ隊』を結成
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高校時代から芸能活動を行っていた生稲晃子さんですが、『おニャン子クラブ』入り当初は芸能界に長く身を置こうとは考えていなかったようです。芸能活動を長く続けるより、将来的には安定した学校教諭の道に進むことを模索していました。受験シーズンが近くなると芸能活動を休止し、受験勉強に集中的に励んで恵泉女学園短期大学(2005年に恵泉女学園大学に一本化)に進学しています。そんな生稲晃子さんが19歳だった1987年に結成されたのが、ユニット『うしろ髪ひかれ隊』です。他にもメンバーには工藤静香さんと斉藤満喜子(さいとう まきこ)さんがいました。結成した年の5月に出したシングル「時の河を越えて」がヒットしたことで、『おニャン子クラブ』内でも注目のユニットになります。『おニャン子クラブ』自体は同年9月に解散になるも、『うしろ髪ひかれ隊』は翌年5月まで続きました。
ソロ歌手・タレント・女優としても活躍
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『うしろ髪ひかれ隊』解散後の生稲晃子さんですが、ソロ歌手・タレント・女優と幅広く活躍しています。ソロ歌手としてデビューしたのが1988年5月、当時短大2年生だった彼女はまだ少しあどけなさの残る女性でした。非常に真面目な学生で、芸能活動と講義を上手く両立して無事に卒業に至っています。1990年からはタレント活動をスタートし、様々なテレビ番組に出演。「料理天国」や「ヒントでピント」など、レギュラー出演を果たした番組も少なくありません。また女優としても活躍し、連続ドラマのレギュラー出演も多数確認されています。「暴れん坊将軍」「キッズ・ウォー」などの懐かしき人気作品に、生稲晃子さんが出ていたことを覚えている人もいるでしょう。
出産後は徐々に芸能活動からフィールドアウト
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芸能界という厳しい世界で着実に自らの立場を確立してきた元アイドル。2003年に結婚したCM制作会社プロデューサー・佐山智洋(さやま ともひろ)さんとの間に長女が生まれると、その後は家事と子育ての都合から芸能の仕事を徐々にセーブしていきました。しばらくは女優・レポーター・司会などとして活動していたものの、2010年には心理カウンセラーに転向。現在は「働き方改革実現会議」の有識者委員を経て、2022年から参院議員として活動しています。
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生稲晃子さんは、『おニャン子クラブ』の会員番号40番として人気を誇っていた人物です。1987年5月7日には、ユニット『うしろ髪ひかれ隊』のメンバーに選抜され、レコードデビュー曲の「時の河を越えて」がヒットします。芸能界デビュー当初より所属していた『おニャン子クラブ』は後に解散しますが、これまでの実績から1988年5月21日に「麦わらダンス」でソロデビュー。当時はまだ短大生でしたが、講義と芸能活動を両立して短期大学を卒業しています。1990年からはタレント・女優としての活動を始め、バラエティ番組・ドラマ・映画・舞台などに出演しました。結婚・出産後は徐々に仕事をセーブしていましたが、女優やレポーターなどの仕事を中心に活動。最終的には芸能界を引退するも、その後は心理カウンセラーや政治家として活動しています。