桃井かおりのプロフィール
via www.amazon.co.jp
"桃井かおり"さんは、お父様が国際政治学者の「桃井真」さん、お母様が芸術家という家庭に生まれ、4人兄弟の紅一点として育たれました。
3歳からクラシックバレエを習い始め、中学生の時にはイギリスの「ロイヤル・バレエ・アカデミー」に単身留学されているので、裕福な家庭だったのでしょうね。
帰国後は、女子美術大学付属高等学校・中学校へ入学し「東京バレエ団」に所属。
高校を卒業すると、イギリス留学中に同年代の白人達と比べ挫折感を味わった事もキッカケになったのでしょうか、バレエを辞められています。
そして、ご両親には内緒で「文学座付属演劇研究所」に入り1971年の映画「愛ふたたび」でスクリーンデビューを果たします。
その同じ年に公開された映画「あらかじめ失われた恋人たちよ」で本格的にデビューすると、ご両親に女優をしている事がバレてしまい又、ヌードシーンもあった為、お父様に勘当されてしまいます。
なんとも波瀾万丈ですね。お父様のお許しが出て家には戻れたのですが、「女優」として生きていく事しか考えられず、再び活動を開始。
1973年公開の映画「赤い鳥逃げた?」で女優に復帰し以降、数々の作品に出演。独特の語り口調と気だるい雰囲気で70年代を象徴する女優として存在感を放たれていました。
1979年公開の映画「もう頰づえはつかない」で映画初主演を果たすも、1981年に単身ニューヨークへ渡り、帰国後はご両親が所有する八ヶ岳の別荘で約6年間を過ごされています。
この頃は、女優を続けるかどうか悩んでおられた時期で、「山の薪を拾い、野菜を育て、日が昇ったら起きて、沈んだら寝る」という自給自足の生活をされていたとか。
「私、桃井かおりという役者の80%は早坂さんの作品でできている。暁さんは私の役者道にいつもいてくれて、必ず助けてくれる神様だった。」と慕う今は亡き脚本家の「早坂 暁」氏からの誘いを受けNHKドラマ「花へんろ」で主役を演じ復帰。
このドラマは、シリーズ化され12年の間 主役の静子を演じるという貴重な経験になりました。
1991年 オムニバス映画「ご挨拶」で映画監督デビュー(モモイ・カオリ名義)
2005年 ハリウッド映画「SAYURI」に出演
2006年 アメリカ合衆国映画俳優組合に加入
2008年 紫綬褒章(芸術文化部門)受賞
現在は、2015年に結婚された幼馴染で音楽プロデューサーのご主人と米・ロサンゼルスを拠点に幅広く活動されています。
3歳からクラシックバレエを習い始め、中学生の時にはイギリスの「ロイヤル・バレエ・アカデミー」に単身留学されているので、裕福な家庭だったのでしょうね。
帰国後は、女子美術大学付属高等学校・中学校へ入学し「東京バレエ団」に所属。
高校を卒業すると、イギリス留学中に同年代の白人達と比べ挫折感を味わった事もキッカケになったのでしょうか、バレエを辞められています。
そして、ご両親には内緒で「文学座付属演劇研究所」に入り1971年の映画「愛ふたたび」でスクリーンデビューを果たします。
その同じ年に公開された映画「あらかじめ失われた恋人たちよ」で本格的にデビューすると、ご両親に女優をしている事がバレてしまい又、ヌードシーンもあった為、お父様に勘当されてしまいます。
なんとも波瀾万丈ですね。お父様のお許しが出て家には戻れたのですが、「女優」として生きていく事しか考えられず、再び活動を開始。
1973年公開の映画「赤い鳥逃げた?」で女優に復帰し以降、数々の作品に出演。独特の語り口調と気だるい雰囲気で70年代を象徴する女優として存在感を放たれていました。
1979年公開の映画「もう頰づえはつかない」で映画初主演を果たすも、1981年に単身ニューヨークへ渡り、帰国後はご両親が所有する八ヶ岳の別荘で約6年間を過ごされています。
この頃は、女優を続けるかどうか悩んでおられた時期で、「山の薪を拾い、野菜を育て、日が昇ったら起きて、沈んだら寝る」という自給自足の生活をされていたとか。
「私、桃井かおりという役者の80%は早坂さんの作品でできている。暁さんは私の役者道にいつもいてくれて、必ず助けてくれる神様だった。」と慕う今は亡き脚本家の「早坂 暁」氏からの誘いを受けNHKドラマ「花へんろ」で主役を演じ復帰。
このドラマは、シリーズ化され12年の間 主役の静子を演じるという貴重な経験になりました。
1991年 オムニバス映画「ご挨拶」で映画監督デビュー(モモイ・カオリ名義)
2005年 ハリウッド映画「SAYURI」に出演
2006年 アメリカ合衆国映画俳優組合に加入
2008年 紫綬褒章(芸術文化部門)受賞
現在は、2015年に結婚された幼馴染で音楽プロデューサーのご主人と米・ロサンゼルスを拠点に幅広く活動されています。
桃井かおりの出演作品<映画>
■1971年 愛ふたたび
via www.amazon.co.jp
みやは、金沢の古い薬屋の娘で、大学を出て薬剤師の資格を持っている。同じ金沢の人でインターンをしている医者の卵と結婚し、父の家を継ぐことになっている。みやは婿をとって店を継ぐという条件でパリへ留学した。フランス語学校へ通っているうちに、レーザー技師ニコと知り合い、愛をかわすようになった。
スクリーンデビュー作「愛ふたたび」では、"浅丘ルリ子"さんが演じられた主役の「みや」の妹「百代」役を演じられました。
■1974年 青春の蹉跌
via www.amazon.co.jp
A大学法学部に通う江藤賢一郎は、学生運動をキッパリと止め、アメリカンフットボールの選手として活躍する一方、伯父・田中栄介の援助をうけてはいるが、大橋登美子の家庭教師をしながら小遣い銭を作っていた。やがて、賢一郎はフットボール部を退部、司法試験に専念した。登美子が短大に合格、合格祝いにと賢一郎をスキーに誘った。ゲレンデに着いた2人、まるで滑れない賢一郎を背負い滑っていく登美子。その夜、燃え上がるいろりの炎に映えて、不器用で性急な2人の抱擁が続いた。
70年安保終焉の虚無感、青春の情熱、孤独、焦燥を描いている。
主役の江藤賢一郎を”萩原健一”さん、大橋登美子役を"桃井かおり"さんが演じられましたが、キャストなどに当時、絶大な人気を誇っていた萩原さんの意向が反映されていたようです。
萩原さん主演のドラマ「傷だらけの天使」にも桃井さんが指名されゲスト出演されていました。
役者として何か通ずるものがあったのかもしれませんが、お2人には恋の噂もありました。
萩原さん主演のドラマ「傷だらけの天使」にも桃井さんが指名されゲスト出演されていました。
役者として何か通ずるものがあったのかもしれませんが、お2人には恋の噂もありました。
■1977年 幸福の黄色いハンカチ
幸福の黄色いハンカチ ラストシーン
監督:山田洋次
脚本:山田洋次 朝間義隆
配給:松竹
脚本:山田洋次 朝間義隆
配給:松竹
via www.youtube.com
ヒット・ポップス『幸せの黄色いリボン』から発想を得て作られた感動作。北海道を舞台に、刑務所帰りの中年男と若いカップルがそれぞれの愛を獲得するまでのロード・ムービー。新車を買って、北海道に旅行に出た欽也は早速、朱実という女の子をナンパ。二人は旅を続けるが、途中で刑務所から出たばかりの中年男・勇作に会う。勇作は妻に“もし俺を待っていてくれるなら、家の前に黄色いハンカチを下げておいてくれ“という手紙を書いていた……
"高倉健"さん主演の名作「幸せの黄色いハンカチ」
"桃井かおり"さんが演じられたのは、一人旅をしていてナンパされる「朱実」という女性ですが、これまで桃井さんが演じられてきた女性像とは違った一面が見える役柄でした。
この映画により「第1回日本アカデミー賞助演女優賞」「ブルーリボン賞」などを受賞されました。
"桃井かおり"さんが演じられたのは、一人旅をしていてナンパされる「朱実」という女性ですが、これまで桃井さんが演じられてきた女性像とは違った一面が見える役柄でした。
この映画により「第1回日本アカデミー賞助演女優賞」「ブルーリボン賞」などを受賞されました。
■1979年 もう頰づえはつかない
via www.amazon.co.jp
ベストセラーとなった見延典子の小説(早大文学部文芸科の卒業小説)『もう頬づえはつかない』を、ATGが東陽一監督で映画化した作品。早大文学部に通うまり子は、同じく早大生の橋本と同棲している。それもごく軽い気持ちで……。これにまり子のかつての同棲相手である売れないルポライターや画家くずれの大家らも登場して、物語は大きな起伏もなく淡々と進んでいく。ポスト学園紛争の“シラケ世代“や“フィーリング世代“の感覚をそのまま映画化したかのような作品。
”桃井かおり”さんの初主演映画。
古い形の「恋愛」とはかけ離れた形で恋愛を楽しみ、フラフラ漂っている女子大生を演じた”桃井かおり”さんに同世代の学生やOLから熱烈な支持を受けヒット作となりました。
古い形の「恋愛」とはかけ離れた形で恋愛を楽しみ、フラフラ漂っている女子大生を演じた”桃井かおり”さんに同世代の学生やOLから熱烈な支持を受けヒット作となりました。
別名義:モモイ・カオリ(監督名義) 桃井かほり
生年月日:1951年4月8日
出生地:東京都世田谷区
身長:162cm
血液型:O型
職業:女優、映画監督
活動期間:1971年~
2006年~アメリカ合衆国映画俳優組合(SAG)に加入