70年代に活躍したアイドル・女優の歴史(デビュー時1965年から1979年)70名
2023年7月19日 更新

70年代に活躍したアイドル・女優の歴史(デビュー時1965年から1979年)70名

1970年代に活躍したアイドルや女優(歌手もしくは女優デビュー時1965年から1979年)70名の懐かしい70年代の世界観をどっぷり満喫できるまとめです。70年代に活躍した美女たちの思い出が蘇ります!

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石川ひとみ

石川ひとみ

石川ひとみ

石川 ひとみ(いしかわ ひとみ、1959年9月20日 - )は、日本の歌手、女優。本名、山田ひとみ(旧姓石川)。愛称はひっちゃん。

1978年5月25日、キャニオンレコードのNAVレーベルより「右向け右」でデビュー。 同年、全国58大学で構成される全国ビューティ・オール学生協会から「'78マスコット・ガール」に選ばれるなど、デビュー当時からルックスと歌唱力が高く評価され、大学生を中心に絶大な支持を得る。そのためか男性誌を中心に水着姿でのグラビア撮影が多かったが、石川は水恐怖症だったので芸能界入りするまでは水着を1着も持っていなかった。なお石川は、自らの水恐怖症の原因として、生まれて6日後に襲来した伊勢湾台風の影響を示唆している。

1981年には「まちぶせ」(三木聖子のカバー)がヒットする。「まちぶせ」は10枚目のシングルだったが、同曲がヒットしてもしなくても、石川自身は同曲の発売を最後に芸能界を引退するつもりだったという。

「まちぶせ」がロングヒットを記録したため、次のシングル曲として予定されていた「にわか雨」の発売見通しが立たず、にわか雨の時期を過ぎてしまったということもあって発売見送りとなった。代わりに「まちぶせ」と同じく三木聖子のカバー曲である「三枚の写真」が発売された。この年、念願だった『NHK紅白歌合戦』に初出場を果たす。なお、「にわか雨」は2年後の1983年6月21日に16枚目のシングルとして発売された。

1979年から1982年までNHKの人形劇『プリンプリン物語』で声優として主役のプリンセス・プリンプリンの声を担当し、同局の歌番組『レッツゴーヤング』では太川陽介と司会を務めるなど、歌手活動以外でも活躍した。
(出典:wikipedia/石川ひとみ)
石川ひとみ

石川ひとみ

石川ひとみ - まちぶせ - YouTube

石川ひとみ

石川ひとみ

石野真子

石野真子

石野真子

石野 真子 (いしの まこ、1961年1月31日 - ) は、日本の女優、歌手。別名、石野 眞子。本名同じ。
兵庫県生まれ。フロム・ファーストプロダクション所属。日本テレビ『スター誕生!』出身。第20回日本レコード大賞新人賞受賞、NHK紅白歌合戦出場歴2回。実妹に女優のいしのようこ (旧表記・石野陽子)と宝乃純。

1978年3月25日、デビュー・シングル「狼なんか怖くない」 (作詞: 阿久悠/作曲: 吉田拓郎/ジャケット撮影: 篠山紀信) がビクターから発売。アイドル歌手として芸能界にデビューした。

石野が歌手デビューした1978年当時、日本の音楽界はニューミュージックやテクノポップの拡大時期で、正統派アイドル歌手にとっては“冬の時代”だった。同年暮れ、第20回日本レコード大賞の新人賞受賞曲は石野の『失恋記念日』のほか、渋谷哲平の『Deep (ディープ)』、中原理恵の『東京ららばい』、さとう宗幸の『青葉城恋唄』がノミネートされたが、最優秀新人賞に輝いたのは、シンガーソングライター・渡辺真知子の『かもめが翔んだ日』だった。

また石野自身、デビュー後のレコードセールスではオリコンチャートにベスト10入りしたことは一度も無かった(オリコン週間最高位は「ハートで勝負」の15位)。

それでも、当時日本の女性アイドルとしての人気はトップクラスで、テレビ出演は音楽番組の他、ドラマやバラエティ番組やCMも含めて出演頻度が多かった。NHK『レッツゴーヤング』の司会、日本テレビ系列の第3回24時間テレビ 「愛は地球を救う」のメインパーソナリティも担った。また、ラジオ番組のパーソナリティも務めていた。人気アイドル投票等では1位を獲得し、明星や平凡をはじめとする、各種雑誌のピンナップや付録ポスターにも頻繁に登場した。1980年8月放映の『日本テレビ音楽祭』では「トップ・アイドル賞」を受賞している。
(出典:wikipedia/石野真子)
石野真子

石野真子

石野真子

石野真子

秋ひとみ(「アンカレッジ経由パリ行き」 (1978年)で歌手デビュー)

秋ひとみ

秋ひとみ

秋 ひとみ(あき ひとみ、1958年10月17日 - )は、日本のアイドル歌手・タレント。本名は中間 日登美。大阪府大阪市住吉区出身。住吉学園高等学校卒業。

1970年代後半から1980年代前半に活躍。当初はアイドル歌手としてユニオンからデビューしたが、その後タレントとして活動。『お笑いマンガ道場』では2代目女性レギュラー解答者を務めた。1982年に“充電”の名目で休養に入ったが、復帰することはなかった。
高見知佳

高見知佳

高見 知佳(たかみ ちか、本名:高橋房代、1962年7月9日 - )は、愛媛県新居浜市出身の、女優・歌手・タレント。泉川小学校、泉川中学校、嘉悦女子高等学校卒業。

1978年、中学生の時、今治市で収録されたラジオ番組ののど自慢に参加し、そこで25人に勝ち抜きスカウトされる。上京後は田辺エージェンシーに所属し、1978年にコロムビアからアイドル歌手としてデビューを果たす。

高見自身、アイドル歌手としてはヒット曲にあまり恵まれず、売り上げにつながらなかったものの、有線などではよく流されていた。 1984年に発売された「くちびるヌード」では資生堂・春のキャンペーンCMソングとして、フジテレビ『夜のヒットスタジオ』など当時の音楽番組でよく披露していた。

また、TBS『ザ・ベストテン』には「今週のスポットライト」で、さらに日本テレビ『ザ・トップテン』には「もうすぐトップテン」で、それぞれ同番組への初出演を果たした。
(出典:wikipedia/高見知佳)

トライアングル

トライアングル

トライアングル

トライアングル(TRIANGLE)は、かつて渡辺プロダクションに所属していた日本の女性アイドルグループである。

1977年、キャンディーズの解散表明後、「キャンディーズの妹分」としてキャンディーズJrという名前で結成されたが、熱狂的なキャンディーズファンの猛反発を受け、トライアングルに改名。
キャンディーズがレギュラー出演していた『8時だョ!全員集合』に、キャンディーズと共に出演するなど、この時期に結成された「女性3人アイドルグループ」の中では、もっともキャンディーズに近い扱いを受けていた。

キャンディーズが解散した1978年4月、「トライアングル・ラブレター」でデビュー、スマッシュ・ヒットとなったものの、オリコンチャートの30位以内に入ったシングルはこの1枚にとどまり、その後は徐々に活動も尻すぼみとなって行った。
トライアングル

トライアングル

ミッチ(森光子→もりみつこ→小森みちこ)、福島県いわき市出身。
マミ(上野真由美→上野マミ)、愛知県名古屋市出身。
クーコ(大塚邦子→大塚くに子)1979年脱退、東京都出身。
アキ(加藤明恵→藤本あき→ALALA→藤本あき)1979年、クーコに代わって加入、愛知県名古屋市出身。君塚良一夫人。
トライアングル

トライアングル

1979年デビュー:能瀬慶子・倉田まり子・沢田聖子・井上望・比企理恵・大滝裕子・BIBI(早坂あきよ・小西直子)・川島なお美

川島なお美

川島なお美

川島 なお美(かわしま なおみ、1960年11月10日 - 2015年9月24日[1])は、日本の女優、タレント、歌手である。戸籍名は、鎧塚 なお美(よろいづか なおみ、旧姓:川島)。血液型はAB型。二人姉妹の長女。 愛知県守山市(現・名古屋市守山区)出身。2010年6月より太田プロダクション所属。夫はパティシエの鎧塚俊彦。

愛知県立中村高等学校、青山学院大学文学部第二部英米文学科卒業。大学在学中に芸能界にデビュー。女子大生タレントの先駆けとなる。学生時代は剣道部に所属し有段者である。

1979年 - 歌手デビュー。

文化放送が『セイ!ヤング』の後番組として、1981年10月からスタートさせた『ミスDJリクエストパレード』の初代DJに抜擢され、深夜の顔となる。当時は大学在学中であり、女子大生DJと呼ばれた。

1982年、中京テレビ制作(日本テレビ系)『お笑いマンガ道場』の三代目女性レギュラーとなり、プロ顔負けの漫画のうまさと、芸人顔負けのネタの巧みさを披露し、同世代からの人気を獲得した。
(出典:wikipedia/川島なお美)
川島なお美

川島なお美

倉田まり子

倉田まり子

坪田 まり子(つぼた まりこ、1960年11月20日 - )は、日本のキャリアカウンセラー、元歌手、元女優。本名は坪田 真理子(読みは同じ)。歌手・女優時代の芸名は倉田 まり子(くらた まりこ)。

長崎県諫早市出身。1974年、TBSの番組『家族そろって歌合戦』が長崎県島原市で収録された際、それに出場したことをスカウトマンに見初められて高校1年のとき上京。

NHKの人気歌番組『レッツゴーヤング』のサンデーズの一員として1978年4月からレギュラー出演(~1981年3月)した。芸名の「倉田」は、師匠で作曲家の当時レッツゴーヤングの司会を務めていた都倉俊一から一字もらった。

1979年1月にキングレコードから「グラジュエイション」でデビュー。1979年8月に発表されたシングル3曲目「HOW! ワンダフル」のヒットにより人気を確立、第10回日本歌謡大賞放送音楽新人賞・第8回FNS歌謡祭最優秀新人賞・第21回日本レコード大賞新人賞などを受賞。また、石川ひとみに顔が似ているとも話題になった。所属事務所はニューバンブー。抜群のプロポーション、脚線美の持ち主だった。
(出典:wikipedia/坪田まり子)
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