70年代に活躍したアイドル・女優の歴史(デビュー時1965年から1979年)70名
2023年7月19日 更新

70年代に活躍したアイドル・女優の歴史(デビュー時1965年から1979年)70名

1970年代に活躍したアイドルや女優(歌手もしくは女優デビュー時1965年から1979年)70名の懐かしい70年代の世界観をどっぷり満喫できるまとめです。70年代に活躍した美女たちの思い出が蘇ります!

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70年代に活躍した「アイドル・女優」の歴史(デビュー時1965年から1979年)

1965年から1969年ごろデビュー:小川知子・榊原るみ・奥村チヨ・中村晃子
1970年:吉沢京子・岡崎友紀・高橋 惠子・平山みき
1971年:天地真理・小柳ルミ子・南沙織・栗田ひろみ
1972年:アグネス・チャン・麻丘めぐみ・森昌子・坂口良子
1973年:浅田美代子・あべ静江・安西マリア・キャンディーズ・桜田淳子・山口百恵・石川さゆり
1974年:多岐川裕美・浅野ゆう子・伊藤咲子・太田裕美・木之内みどり・相本久美子・林寛子・早乙女愛・リンリン・ランラン・松本ちえこ
1975年:岡田奈々・片平なぎさ・ザ・リリーズ・岩崎宏美
1976年:夏目雅子・三木聖子・ピンク・レディー・手塚理美・紺野美沙子・斉藤とも子・名取裕子
1977年:大場久美子・榊原郁恵・高田みづえ・香坂みゆき・五十嵐夕紀・アグネス・ラム・藤谷美和子・古手川祐子・森下愛子
1978年:石川ひとみ・石野真子・高見知佳・トライアングル・秋ひとみ
1979年:能瀬慶子・倉田まり子・沢田聖子・井上望・比企理恵・大滝裕子・BIBI(早坂あきよ・小西直子)・川島なお美

1965年から1969年ごろデビュー:小川知子・榊原るみ・奥村チヨ・中村晃子

小川知子(1965年映画でデビュー・1968年、「ゆうべの秘密」で正式に東芝から歌手デビュー)

小川知子

小川知子

小川 知子(おがわ ともこ、1949年1月26日 - )は、日本の女優・歌手。広島県広島市生まれ、東京都北区育ち。
1970年前後に、人気アイドル歌手として有名になる。
1980年代は『金曜日の妻たちへ』などのテレビドラマに出演。
1990年代は幸福の科学の人物として知られた。

1965年16歳で東映にスカウトされ入社。同期に大原麗子らがいる。『悪魔のようなすてきな奴』で映画デビュー。

1968年、「ゆうべの秘密」で正式に東芝から歌手デビュー。オリコン1位を獲得するヒットを記録。
男心をくすぐるその歌声で一躍人気者となりヒット曲を連打、『NHK紅白歌合戦』には1968年から1970年まで3年連続出場した。『夜のヒットスタジオ』の第1回放送にも出演。俳優時代の演技力を生かし『夜のヒットスタジオ』の挿入コントの柱となり、『巨泉×前武ゲバゲバ90分!』などでもコントを演じた。

18歳の時、キャンティで知り合った恋人のカーレーサー・福澤幸雄(福澤諭吉の曾孫)が1969年2月、テスト走行中に事故死。直後の『夜のヒットスタジオ』収録で「初恋のひと」を歌いながら泣き崩れた事件は、テレビ界に衝撃を与え、伝説化した。
1970年代に入ると、再び映画・テレビを中心に活躍。
(出典:wikipedia/小川知子(女優))

小川知子 ゆうべの秘密 - YouTube

「ゆうべの秘密」(ゆうべのひみつ)は、1968年2月1日に発売された小川知子のデビュー・シングルである。小川自身歌手デビューとなった同曲は、いきなりオリコンチャートで週間1位を獲得するなど、52.9万枚の売上を記録する自身最大のヒット曲となり、1968年末の「第19回NHK紅白歌合戦」へ初出場を果たした。

奥村チヨ(1965年歌手デビュー)

奥村チヨ

奥村チヨ

奥村 チヨ(おくむら チヨ、1947年(昭和22年)2月18日 - )は、日本の歌手である。本名、金野 智代(こんの ちよ、旧姓・奥村)。大阪府池田市出身。夫は作曲家の浜圭介、女優の麻生祐未は姪にあたる。

千葉県野田市に生まれ、3歳から大阪府池田市で育った。母親は山口県の出身。夙川学院高等学校在学中、知人が応募したオーディションに合格してしまい、1回きりの約束でドリンク剤のCMソング(小野薬品・リキ・ホルモ「昨日、今日、明日」)を歌ったことがきっかけで、卒業後の1965年に東芝から「あなたがいなくても / 私を愛して」でデビュー。

和製シルヴィ・ヴァルタンとして売り出され、蠱惑的な魅力と甘えたような歌い方でたちまち人気を集める。黛ジュン・小川知子とともに東芝3人娘の一角を占め、「ごめんネ・・・ジロー」(1965年)「北国の青い空」(1967年)などがヒット。

さらに1969年 - 1970年に発表した「恋の奴隷」(セールス:51万枚)「恋狂い」「恋泥棒」のいわゆる「恋3部作」の爆発的大ヒットにより、人気歌手としての地位を確立した。

それまでのコケティッシュな雰囲気に、新たに官能的な魅力も加わり、初めてNHK紅白歌合戦出場も果たす(NHKでは内部規則で「恋の奴隷」の歌唱が禁じられていたため「恋泥棒」を歌った)。

1971年12月25日に発売された、自身のイメージを脱却した「終着駅」がヒット(セールス:40万枚) 。この曲は、本人の歌手引退も辞さない強い希望で実現に至った曲である。この曲を作曲した浜圭介も、この曲のヒットにより、作曲家として息を吹き返した。その後、1974年に浜圭介と結婚、芸能界の第一線を退く。
(出典:wikipedia/奥村チヨ)

恋の奴隷 奥村チヨ. - YouTube

中村晃子(1965年に『青い落葉』にて歌手デビュー)

中村 晃子

中村 晃子

中村 晃子(なかむら あきこ、1948年1月3日 - )は、日本の女優・歌手・声優。千葉県習志野市出身。本名同じ。愛称はアッコ。血液型はO型。 身長163cm、B85・W60・H88。趣味はゴルフ・テニス・卓球。ベルグコーポレーション所属。 昭和学院高等学校卒業。

1963年、高校在学中に第2回ミス・エールフランスコンテストの準ミスに入選したことがきっかけで、松竹へ入社して銀幕デビューを果たす。多数の映画に出演し、1965年~1966年は田村正和とコンビで売り出すも、互いに芽が出ずパッとしない存在だったが、その後同年『望郷と掟』続く『炎と掟』では安藤昇の相手役に抜擢されラブシーンを演じた。当時はカーマニアでオペルやプリンス、フォルクスワーゲン・カルマンギアなどを乗り継いだ。

1965年に『青い落葉』にてレコードデビュー。1967年に『虹色の湖』をリリース。グループサウンズ全盛の時期にあって、女性ソロ・シンガーとして80万枚を売り上げるヒットになった。続く1968年には『砂の十字架』もヒットを記録した。

1968年、『虹色の湖』で第19回NHK紅白歌合戦に初出場。ドラマ「可愛い魔女ジニー」の声優も担当した。1973年にはカバー曲『あまい囁き』が大ヒットする。1980年『恋の綱わたり』(TBS系ドラマ『離婚ともだち』挿入歌)も30万枚を超えるヒットとなり、『ザ・ベストテン』にもランクインした。

女優としては千葉真一主演のテレビドラマ『影の軍団III』にレギュラー出演し、時代劇にも活躍の場を広げた。
(出典:wikipedia/中村晃子)

虹色の湖 / 中村晃子とザ・ジャガーズ フルサイズ - YouTube

映画「進め!ジャガーズ敵前上陸」 中村晃子出演シーン

榊原るみ(1966年テレビドラマデビュー・1969年映画デビュー)

「榊原るみ」はテレビドラマ「気になる嫁さん」(1971...

「榊原るみ」はテレビドラマ「気になる嫁さん」(1971年)の主演によってアイドル的な人気を博した

気になる嫁さん(1971-1972年、NTV・ユニオン映画)- 坪内めぐみ:榊原るみ

幼児のころから雑誌モデル・女優業を行っており、舞台、テレビなどで幅広く活躍した。1970年代前半の映画『男はつらいよ 奮闘篇』、テレビドラマ『帰ってきたウルトラマン』のヒロイン役や『気になる嫁さん』などへの出演で人気を博す。

父は芝浦工業大学名誉教授の榊原秋策。
娘の松下恵も女優として活動している。生まれてから1999年に19年間連れ添った前夫と離婚するまで、広尾の実家住まいだった。映画監督のすずきじゅんいちと1年半にわたる同棲生活を送った末、2001年1月16日に入籍再婚する。すずき監督の映画『ひとりね』では、引退覚悟でオナニーシーンに果敢に挑み、過去の清純派のイメージを脱却した。

夫のすずきと共にロサンゼルスに移住し、夫の仕事である映画プロデュースを手伝っていた。
2010年9月29日、ラスベガス近くで夫妻の乗った自動車が自損事故を起こし、助手席に乗っていた彼女も指の複雑骨折など重傷を負った。運転していたすずきは、脊髄の一部などを骨折。意識不明のままヘリコプターで病院に搬送されたが、命に別条はなく、榊原も1日で退院した。

上記の事故がきっかけで11年間のアメリカ生活に終止符を打ち、帰国。現在は、仕事に復帰している。
(出典:Wikipedia「榊原るみ」)
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男はつらいよ 奮闘篇(1971年)- 花子:榊原るみ

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1970年デビュー:吉沢京子・岡崎友紀・高橋 惠子・平山みき

吉沢京子(1970年3月「幸せってなに?」で歌手デビュー)

吉沢京子(よしざわ きょうこ) 元祖アイドル

吉沢京子(よしざわ きょうこ) 元祖アイドル

吉沢京子(よしざわ きょうこ、1954年3月2日 - )は、日本の女優。東京都板橋区出身。
デビューまで埼玉県戸田市に育つ。1966年、12歳の時「劇団ひまわり」に3期生として入り、 少女モデルとして活躍する。

1967年、東宝『燃えろ!太陽』で酒井和歌子の妹役で映画デビュー。その後、テレビコマーシャルに出演し、1968年には、NET(現テレビ朝日)『フルーツポンチ3対3』にレギュラー出演。
1968年、スナッキーガールズに参加。LPは「海道はじめ(坂越達明&スナッキーガールズ」名義、タイトルはスナッキーで踊ろう。(スナッキーガールズには他に小山ルミ、羽太幸得子が居た)
1969年、TBSの人気番組『柔道一直線』で、ヒロイン(ミキッペ)を演じる。
1971年、東宝の映画、16才シリーズ、日本テレビの 『さぼてんとマシュマロ』に主演し、若者たちのアイドルとして活躍する一方、小林桂樹と共演した東宝映画『父ちゃんのポーが聞える』で、ハンチントン病に侵されながらも、父親に愛されて亡くなった少女・松本則子を演じ(原作も松本の詩集)、文部大臣新人賞、エランドール賞新人賞を受賞する。ブロマイド俳優部門で売上1位になる。
以降、テレビ、舞台で時代劇を中心に、数多くの作品に出演。日本舞踊「西川流」の名取「西川舞左」でもある。現在、女優業に加え、着物のプロデュース業も展開している。
ギャグ漫画『ど根性ガエル』の作者の吉沢やすみもファンであり、同作に登場する京子ちゃんのモデルにもなっている。
私生活では、1983年に会社員(東宝)の男性と結婚、1985年に1男を儲けるが、1989年に離婚している。
(出典:Wikipedia)
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