なんと!清純派女優の斉藤とも子さんが「ニャンニャン(=SEX)」という台詞で援助交際を申し込んでいるようなヤンキー役!
似合わなさ過ぎるソバージュ!
アンビリーバボー!
いくら校内暴力ブーム・不良少女ブーム時代とはいえ、これはな・・・
斉藤とも子さんに「ニャンニャン」なんて台詞を言わせるとは・・・
アンビリーバボー!
いくら校内暴力ブーム・不良少女ブーム時代とはいえ、これはな・・・
斉藤とも子さんに「ニャンニャン」なんて台詞を言わせるとは・・・
斉藤とも子さんも育て方を間違えて不良になってしまいました・・・そんな感じの役柄
斉藤とも子さんも清純派女優・アイドルから大人へ脱皮しようと努力されている頃なのでしょう。路線変更するためとはいえ、やっぱりこういう役は似合わないよね。
菊池桃子
via pds.exblog.jp
突然の路線変更「ラ・ムー時代」
ラ・ムーのメンバー
菊池桃子(きくち・ももこ) - ボーカル
松浦義和(まつうら・よしかず) - キーボード
中西望(なかにし・のぞむ) - ドラムス
勝守理(かつもり・おさむ) - ギター
吉岡誠司 - ベース
ロザリン・キール(Rosaiyu Renee Keel / Rosalyn Keelとの表記も) - コーラス
ダレル・ホールデン(Darelle Foster Holden) - コーラス
松浦義和(まつうら・よしかず) - キーボード
中西望(なかにし・のぞむ) - ドラムス
勝守理(かつもり・おさむ) - ギター
吉岡誠司 - ベース
ロザリン・キール(Rosaiyu Renee Keel / Rosalyn Keelとの表記も) - コーラス
ダレル・ホールデン(Darelle Foster Holden) - コーラス
ラ・ムー「愛は心の仕事です」(1988年) - YouTube
via www.youtube.com
1988年2月17日、菊池は赤坂プリンスホテルにおいて単独記者会見を行い、今後は新たに結成するロックグループ「ラ・ムー」のボーカルとして歌手活動を行う、と発表した。
会見の場で菊池は「アイドルでいることに違和感を感じていた」と転身の動機を述べ、2月24日に第一曲を発売するとともに、同日の「夜のヒットスタジオデラックス」においてバンドのメンバーを発表する、と予告した。
後に明らかとなったバンドの構成は2人の黒人バックコーラスを擁する7人編成で、本人達は「ロックバンド」を名乗ったが、菊池のアイドル然としたボーカルはソロ時代と変わらず、またサウンド的にも当時の日本ではそれほど定着していなかったR&B、ファンク等の黒人音楽色が強かった(久保田利伸などがブラックミュージック色を全面に打ち出してブレイクしたのはちょうどこの頃である)。
ラ・ムーの音楽についてリーダーの松浦は、アメリカのブラコンに見られるタイトなリズムに、日本人に受け入れられるナイーヴなメロディーを兼ね備えたものだと説明し、ロックと呼んでも歌謡曲と呼んでもよいが、どちらかと問われるならロックだと述べた。
こうして別の意味で話題になったものの、レコードのセールスはソロ時代を超えることはできず、オリコンで4位となった「少年は天使を殺す」以降は話題とならなくなった。
1989年9月、菊池はデビュー当初から菊池に関わってきた岩崎加允美の事務所パーフィットプロダクションに移籍、女優に専念することになり、ラ・ムーは事実上解散した。
移籍後の菊池はCMでも成功し、一度路線変更に失敗したタレントとしては異例の復活を遂げた。
当時は凄く変な印象でしたが、今見ると、それほど変じゃないですね。
篠原涼子
1990年4月、アイドルグループ・東京パフォーマンスドール(TPD)のメンバーとして参加。
東京パフォーマンスドールのフロントメンバー
木原さとみ(リーダー)
米光美保
篠原涼子
川村知砂
市井由理
穴井夕子
八木田麻衣
アイドルグループの一人としてスタート。
木原さとみ(リーダー)
米光美保
篠原涼子
川村知砂
市井由理
穴井夕子
八木田麻衣
アイドルグループの一人としてスタート。
当時はとにかく「ニャンニャン」がしたかった!