「美人薄命」と呼ばれる女性芸能人!!
「美しい人は、短命あるいは不幸である」という意味がある「美人薄命(びじんはくめい)」。病弱であったり、数奇な運命に弄ばれる女性に美人が多かったことから、生まれた言葉として有名です。日本の芸能界でも、病気などの運命により「美人薄命」と呼ばれる方々が存在します。この記事では、若くして亡くなった美しき女性芸能人について特集したいと思います。
via www.suruga-ya.jp
ZARD(坂井泉水)
まずご紹介するのは坂井泉水。1967年2月6日、神奈川県平塚市出身。モデルやレースクイーンなどの活動を経て、1991年2月に音楽ユニット・ZARDのボーカリストとしてシングル「Good-bye My Loneliness」で歌手デビュー。以後、「負けないで(1993年)」「揺れる想い(1993年)」「マイ フレンド(1996年)」など多数のミリオンヒットを輩出し、ビーイング系を代表する女性アーティストとしてその地位を確立していました。
via www.amazon.co.jp
歌手として順風満帆の生活を送っていた坂井ですが、2000年以降、子宮筋腫や卵巣のう腫、子宮内膜症と次々と病気にかかり、2006年には子宮頸がんが発覚。同年6月に手術を受け、無事退院したものの、翌2007年には肺への転移が見つかり、抗がん剤治療を続けていました。そんな中、同年5月26日に入院先であった慶應義塾大学病院にて転落。脳挫傷により帰らぬ人となりました。享年40。
via www.amazon.co.jp
夏目雅子
70年代から80年代にかけて活躍した女優・夏目雅子。1957年12月17日、神奈川県横浜市出身。1976年にドラマ「愛が見えますか…」で女優デビューを飾り、翌1977年にはカネボウ「クッキーフェイス」のCMで一躍注目を浴びることとなりました。そして1978年のドラマ「西遊記」の三蔵法師が当たり役となり、人気女優としての地位を確立。1982年には映画「鬼龍院花子の生涯」に出演し、その際の台詞「なめたらいかんぜよ!」が流行語にもなりました。
via www.amazon.co.jp
そんな夏目が病に倒れたのは1985年のこと。同年2月、舞台「愚かな女」の公演中に体調不良を訴え、慶應義塾大学病院へと入院しました。そこで急性骨髄性白血病と診断され、本人には病名が伏せられた状態で抗がん剤治療がスタート。半年以上にわたる闘病生活を続けたものの、同年8月下旬に抗がん剤の副作用と思われる肺炎となり、翌9月11日に死去しました。享年27。
via www.amazon.co.jp
堀江しのぶ
80年代に人気アイドルとして活躍した堀江しのぶ。1965年8月18日、愛知県西春日井郡(現・清須市)出身。1983年、高校在学中に「クラリオンガールコンテスト」にて平凡パンチ・アイドル賞を受賞し、黒澤プロモーション(現・イエローキャブ)からアイドルとしてデビューを飾りました。その健康的なプロポーションからグラビアなどで人気を博したほか、1984年4月にはシングル「ビキニ・バケーション」などで歌手としても活躍。細川ふみえらに代表される「巨乳ブーム」の先駆けとして知られています。
そんな堀江を病魔が襲ったのは1988年のこと。同年初旬より体調不良を訴え、4月に病院を受診したところ、スキルス性胃癌が卵巣にまで転移した末期癌の状態であり、さらに癌性腹膜炎も併発していることが発覚。本人には病名が知らされない状態で闘病生活を続けていたものの、9月13日にスキルス性胃癌のため死去しました。享年23。
川越美和
80年代後半から90年代にかけて活躍し「ポスト後藤久美子」などとも称されたアイドル・川越美和。1973年1月3日、鹿児島県出身。地元鹿児島でモデルをしていた際にスカウトされ、1988年10月にシングル「Looking at You」で歌手デビュー、翌1989年にはドラマ「時間ですよ・平成元年」に7代目マドンナとして出演しました。さらに、第31回日本レコード大賞新人賞を獲得するなど一躍人気アイドルとして脚光を浴び、以後もドラマ「スクールウォーズ2」「HOTEL2」などで女優業を中心に活動を展開していました。