寅さんに出演に、電波少年に!若き頃の出川哲朗青春グラフィティ
今やリアクション芸人の神様のように崇められている出川哲朗。一昔前までは、『抱かれたくない芸人』トップの座に君臨していましたが、今では女子高生など若い世代のカリスマになっているとか。そんな出川哲朗の原点ともいうべき、若き頃の青春グラフィティを紹介します。人に歴史あり!です。
出川 哲朗(でがわ てつろう、1964年2月13日 - )は、日本のお笑いタレント、俳優。劇団SHA・LA・LAリーダー(座長)。株式会社蔦金商店取締役。愛称は哲ちゃん。
神奈川県横浜市神奈川区出身。マセキ芸能社所属。妻は元レースクイーンの阿部瑠理子。大伯父は三鬼隆。曾祖父は三鬼鑑太郎。母方の遠戚に原節子。
リアクション芸人の代表格として、ダチョウ倶楽部と並んで数多くのバラエティ番組で活躍している。
切れたナイフ時代
アメトーークのプレゼン大会で、「元ヤンキー芸人」を持ち込んできたくらい、自称元ヤンの出川哲朗。地元、横浜では手が付けられないほど荒れていたらしく、自分のことを「切れたナイフ」と言っています。「切れたナイフ」って「切れやすいナイフ」とかなら分かりますけど、日本語として変ですよね。それが出川哲朗の魅力の一つなのですけど。
via newnews.in.net
「出川さんは、アメトーークのプロデューサーである加地さんに『加地さん、早く"元ヤン芸人"をやって下さいよ。本当に俺、やりたいんですよ。マジで本当に怖かった、俺の武勇伝を世間に知らしめたいんです』みたいなことを言い出した」
さらに、以下のようなやりとりがあったことを話していた。
「それで、加地プロデューサーは『出川さん、もうその話はいいですよ、出川さん。本当に悪かったんですか?』って訊いてた。そうしたら出川さんは『マジですよ。本当に悪かったんです。その血、まだ残ってるんですけどね』と言っていた」
出川哲朗イジリww【総集編】 - YouTube
バラエティで見せるキレ芸からも切れたナイフ具合が垣間見れる???
via youtu.be
劇団SHA・LA・LA
元々芸人志望ではなく、俳優志望だった出川哲朗。若いころは、同じ専門学校出身のウッチャンナンチャン(内村光良、南原清隆)らと劇団を旗揚げ、リーダー(座長)となり活躍していた。
小劇団ながら結構人気を博していたが、芸人としての仕事が多忙になったため、活動休止状態。
SHA・LA・LA出身者には、出川、ウンナン以外にも、現在俳優として活躍している入江雅人や、放送作家の内村宏幸、芸人・エドはるみらがいる。
小劇団ながら結構人気を博していたが、芸人としての仕事が多忙になったため、活動休止状態。
SHA・LA・LA出身者には、出川、ウンナン以外にも、現在俳優として活躍している入江雅人や、放送作家の内村宏幸、芸人・エドはるみらがいる。
なんと寅さんに出演!?
なんとあの国民的映画である「男はつらいよ」(寅さん)に出演経験がある出川哲朗。しかも、1回目の第37作『男はつらいよ 幸福の青い鳥』以来、5作連続というから結構すごいこと。
出川曰く、主演の渥美清にも「頑張れよ」と声を掛けられたとか。渥美は、なかなか知らない人には話しかけない人で有名だっただけに、渥美清の目には出川哲朗の才能が見えていたのかもしれませんね。
しかも、きちんとセリフもある事が多いので、レギュラー格と言っても言い過ぎではない!?
出川曰く、主演の渥美清にも「頑張れよ」と声を掛けられたとか。渥美は、なかなか知らない人には話しかけない人で有名だっただけに、渥美清の目には出川哲朗の才能が見えていたのかもしれませんね。
しかも、きちんとセリフもある事が多いので、レギュラー格と言っても言い過ぎではない!?
車寅次郎らしさ 第38作 男はつらいよ 知床慕情 - YouTube
via youtu.be
リアクション芸人の原点!お笑いウルトラクイズ
出川哲朗のリアクション芸人としての原点は、やはり「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ」でしょう。この番組によって知名度が格段にアップ、人気が出てきただけでなく、リアクション芸人と言う新たなジャンルを確立した。
出川哲朗とナインティナイン岡村隆史の若いころのガチバトル【お笑いウルトラクイズ】 - YouTube
via www.youtube.com
『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』(ビートたけしのおわらいウルトラクイズ)は、1989年1月2日から1996年4月6日にかけて日本テレビ系列で放送された特別番組で、ビートたけしの冠番組。2007年1月1日の20:30から、3時間の正月特番として11年ぶりに復活した。