西脇充子さんプロフィール
本名:古賀充子(こが みつこ)旧姓:西脇(にしわき)
生年月日:1967年11月2日
出身地:岐阜県安八郡
身長:167cm
血液型:O型
1985年(昭和60年)に全日本女子プロレスに入門した西脇充子さん。
同年5月に仲前芽久美戦でプロデビューを果たしました。
1988年には堀田祐美子選手とタッグチーム「ファイヤージェッツ」を結成し、第87代及び第91代WWWA世界タッグ王座を獲得。
1989年5月に開催された「長与千種特別引退試合」では、北斗晶さんと共にクラッシュギャルズの対戦相手に選ばれ注目を集めました。
その翌年1990年10月に、約5年半の現役生活に終止符を打ち、現在は大相撲浅香山部屋の女将として部屋を支えています。
生年月日:1967年11月2日
出身地:岐阜県安八郡
身長:167cm
血液型:O型
1985年(昭和60年)に全日本女子プロレスに入門した西脇充子さん。
同年5月に仲前芽久美戦でプロデビューを果たしました。
1988年には堀田祐美子選手とタッグチーム「ファイヤージェッツ」を結成し、第87代及び第91代WWWA世界タッグ王座を獲得。
1989年5月に開催された「長与千種特別引退試合」では、北斗晶さんと共にクラッシュギャルズの対戦相手に選ばれ注目を集めました。
その翌年1990年10月に、約5年半の現役生活に終止符を打ち、現在は大相撲浅香山部屋の女将として部屋を支えています。
応募者数3000人超えの昭和60年組
Instagram更新しました。#堀田祐美子 #全日本女子プロレス #60年組 pic.twitter.com/PM0AyYYtvu
— 堀田祐美子 公式 (@yumiko_hotta) May 22, 2024
西脇充子さんが全日本女子プロレスに入門した昭和60年当時といえば、クラッシュギャルズの爆発的人気でプロレス会場は連日超満員となっていた時代でした。
「私もクラッシュギャルズみたいになる!」
そんな想いをのせた応募書類は3000通を超え、その中から700人に絞られ、フジテレビで開催されたオーディションで最終的に残った合格者は10人。
その10人の中に西脇充子さんは入りました。
その後、補欠合格者と推薦合格者の6名が追加され16人となった昭和60年組。
「私もクラッシュギャルズみたいになる!」
そんな想いをのせた応募書類は3000通を超え、その中から700人に絞られ、フジテレビで開催されたオーディションで最終的に残った合格者は10人。
その10人の中に西脇充子さんは入りました。
その後、補欠合格者と推薦合格者の6名が追加され16人となった昭和60年組。
via aucfree.com
同期には、後に北斗晶として活躍する宇野久子さん、その北斗晶とタッグチーム「海狼組(マリンウルフ)」を結成してみなみ鈴香として活躍した鈴木美香さん、さらに2024年6月にプロ39周年を迎える60年組唯一の現役選手である堀田祐美子選手がいます。
「ポスト・クラッシュ」として歌手デビュー
ライオネス飛鳥さんの付き人をしていた西脇充子さんと、長与千種さんの付き人をしていた堀田祐美子選手が結成した「ファイヤージェッツ」は「ポスト・クラッシュ」として期待され、1988年には歌手デビューもしています。
「闘え!ファイヤージェッツ」(1988年5月21日発売)
「ファイヤー騎士」(1989年12月15日発売)
と、シングルレコード2枚を発売。
当時のことを振り返り「しんどかった!」という西脇充子さん。
会社からは「クラッシュに続け!」と期待されて精一杯頑張ってはいたものの、クラッシュギャルズの存在があまりにも大きすぎて、自分たちではとても敵わないと痛感してしまったんだとか。
「闘え!ファイヤージェッツ」(1988年5月21日発売)
「ファイヤー騎士」(1989年12月15日発売)
と、シングルレコード2枚を発売。
当時のことを振り返り「しんどかった!」という西脇充子さん。
会社からは「クラッシュに続け!」と期待されて精一杯頑張ってはいたものの、クラッシュギャルズの存在があまりにも大きすぎて、自分たちではとても敵わないと痛感してしまったんだとか。
22歳の時に引退し芸能界へ転身
1990年10月、22歳の若さで引退を決意した西脇充子さん。
「いい時代にプロレスをやらせてもらった」と振り返りつつ、自身の中で徐々に限界を感じるようになり「いい時に辞めたい」という考えに至ったそう。
引退後は、芸能界へ転身。
女優として、ドラマ「女相撲」(1991年10月7日放送)や、特撮ドラマ「ブルースワット」( 1994年1月30日より放送)に出演されました。
また、歌の勉強するために単身ロサンゼルスに渡りボイストレーニングをしていたことも。
メジャーデビューは叶わなかったものの、ライブを開催していたこともあったようです。
「いい時代にプロレスをやらせてもらった」と振り返りつつ、自身の中で徐々に限界を感じるようになり「いい時に辞めたい」という考えに至ったそう。
引退後は、芸能界へ転身。
女優として、ドラマ「女相撲」(1991年10月7日放送)や、特撮ドラマ「ブルースワット」( 1994年1月30日より放送)に出演されました。
また、歌の勉強するために単身ロサンゼルスに渡りボイストレーニングをしていたことも。
メジャーデビューは叶わなかったものの、ライブを開催していたこともあったようです。
死の恐怖に直面した闘病生活
西脇充子さんは、29歳の時に卵巣がんを患い6ヶ月間に及ぶ闘病生活を経験しています。
ある時腹部に違和感を感じて内科を受診したところ、卵巣に腫瘍ができていることが発覚し手術を受けることに。
卵巣内から取り出した腫瘍は1.5キロもあったそうで、まるで大きな明太子のようだったといいます。
さらに後日、腫瘍が「極めて悪性に近い」と診断されたことで、抗がん剤治療が始まりました。
治療が進んでいく中で、死の恐怖に直面したのは髪の毛が大量に抜け落ちた時でした。
ある時腹部に違和感を感じて内科を受診したところ、卵巣に腫瘍ができていることが発覚し手術を受けることに。
卵巣内から取り出した腫瘍は1.5キロもあったそうで、まるで大きな明太子のようだったといいます。
さらに後日、腫瘍が「極めて悪性に近い」と診断されたことで、抗がん剤治療が始まりました。
治療が進んでいく中で、死の恐怖に直面したのは髪の毛が大量に抜け落ちた時でした。
初めて見たときに、わんわん泣いた。びっくりと、大変な状態だったんだなっていうのと、「私、死んじゃうの?」っていう重さを初めて感じた。手術を受けたのは自分なんだけど、“明太子”を見てないから、現実味がなかったんだけど、自分の姿を見たときにようやく「はっ……」と。でもね、下からもう新しい毛が、ほんと何ミリかなんだけど、生えてきてるの。それはね、生命の強さを感じた。
絶望の中でも自身の持つ生命力を感じ「こうなったら這ってでも生きてやる!」と、再び前進し始めた西脇充子さん。
退院後には、後に夫となる魁皇関との出会いが待っているのでした。
退院後には、後に夫となる魁皇関との出会いが待っているのでした。
大関・魁皇との出会い。そして結婚へ。
【メディア】「出ていったこともあった」夫・魁皇と“2回の離婚危機”…女子プロレスラーから相撲部屋の女将になった西脇充子が明かす“夫婦の関係性” https://t.co/i7Cr6N53eX #プロレス
— 株式会社スマートスポーツエンターテイメント (@smaspo) April 8, 2024
上段右:北斗晶
下段左:西脇充子
下段右:堀田祐美子