全女の人気コンビ「オペロン同盟」
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全日本女子プロレスの歴史の中でも全盛期と言えるのが、クラッシュギャルズvs極悪同盟の闘争で盛り上がった80年代。
そんな空前のブームとなっていた時代に、まるでお笑いコンビのような明るく楽しいキャラクターで多くのファンから人気を集めたのが、「カナ坊」「ニンニン」のニックネームで親しまれた永友香奈子さんと小松美加さんによるタッグチーム「オペロン同盟」です。
正直、プロレスラーとしての実力よりも人気が先行している感じはありましたが、女子プロレス中継の中でミニコーナーを任されることもあったりと、あの全女の全盛時代を彩る一員として活躍しました。
そんな空前のブームとなっていた時代に、まるでお笑いコンビのような明るく楽しいキャラクターで多くのファンから人気を集めたのが、「カナ坊」「ニンニン」のニックネームで親しまれた永友香奈子さんと小松美加さんによるタッグチーム「オペロン同盟」です。
正直、プロレスラーとしての実力よりも人気が先行している感じはありましたが、女子プロレス中継の中でミニコーナーを任されることもあったりと、あの全女の全盛時代を彩る一員として活躍しました。
永友香奈子さんプロフィール
名前:永友香奈子(ながとも かなこ)
生年月日:1964年4月20日
出身地:北海道函館市
ニックネーム:カナ坊、永友ちゃん
プロデビュー:1983年6月24日
引退:1987年6月28日
タイトル歴:全日本タッグ王座
生年月日:1964年4月20日
出身地:北海道函館市
ニックネーム:カナ坊、永友ちゃん
プロデビュー:1983年6月24日
引退:1987年6月28日
タイトル歴:全日本タッグ王座
小松美加さんプロフィール
名前:小松美加(こまつ みか)
生年月日:1967年5月17日
出身地:千葉県
ニックネーム:ニンニン
プロデビュー:1983年9月23日
引退:1989年4月27日
タイトル歴:昭和59年度新人王、全日本タッグ王座、全日本シングル王座、WWWA世界タッグ王座
生年月日:1967年5月17日
出身地:千葉県
ニックネーム:ニンニン
プロデビュー:1983年9月23日
引退:1989年4月27日
タイトル歴:昭和59年度新人王、全日本タッグ王座、全日本シングル王座、WWWA世界タッグ王座
全日本タッグ王座
同期入門のブル中野さんや小倉由美さんが頭角を現し始めた頃、まだ伸び悩んでいる感があったオペロン同盟の2人。
人気はあるのに実力がなかなか追いつかないという感じでした。
そんな二人がタッグチームとして初めて巻いたベルトが「全日本タッグ王座」。
1986年から定められたタイトルで、WWWAなど世界王座へのステップにもなる若手選手のためのタイトルです。
人気はあるのに実力がなかなか追いつかないという感じでした。
そんな二人がタッグチームとして初めて巻いたベルトが「全日本タッグ王座」。
1986年から定められたタイトルで、WWWAなど世界王座へのステップにもなる若手選手のためのタイトルです。
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この全日本タッグ王座にオペロン同盟の2人が挑戦したのが1986年6月のことでした。
対戦相手は初代王者のレッドタイフーンズ(小倉由美&永堀一恵)。
大方の予想ではレッドタイフーンズの防衛成功。
一方、オペロン同盟は「これで負けたら後がない」という声もあったのだとか・・・。
そんな中、30分の時間切れギリギリのところで永友香奈子が永堀一恵からフォールを奪い見事王座獲得したのでした!
対戦相手は初代王者のレッドタイフーンズ(小倉由美&永堀一恵)。
大方の予想ではレッドタイフーンズの防衛成功。
一方、オペロン同盟は「これで負けたら後がない」という声もあったのだとか・・・。
そんな中、30分の時間切れギリギリのところで永友香奈子が永堀一恵からフォールを奪い見事王座獲得したのでした!
永友香奈子 引退
永友香奈子さんが全女のマットを去ったのは、全日本タッグ王座を獲得した1年後の1987年6月のこと。
相棒のニンニンこと小松美加さんとの引退試合を最後に惜しまれながら引退。
4年間の現役生活でした。
引退理由の一つとして「後輩との試合に勝って控室に戻ると皆が拍手で迎えてくれたこと」とコメントされていた永友香奈子さん。
つまり、それだけ勝てない時期が続いたということで、本人的に限界を感じてしまったのかもしれませんね。
運動神経には定評があったものの、不利となったのはやはり細身で軽量だったこと。
当時は先輩はもちろん、後輩も体格が大きい選手が多かったので太れなかったのは本当に辛かったと思います。
精一杯食べて体重を増やしても、長い巡業から戻った時には体重が減っていたということもあったのだとか・・・。
現在は小柄でも活躍している選手は多いですから、今の時代に現役だったらもっと活躍できたかも・・・なんて思ってしまいます。
相棒のニンニンこと小松美加さんとの引退試合を最後に惜しまれながら引退。
4年間の現役生活でした。
引退理由の一つとして「後輩との試合に勝って控室に戻ると皆が拍手で迎えてくれたこと」とコメントされていた永友香奈子さん。
つまり、それだけ勝てない時期が続いたということで、本人的に限界を感じてしまったのかもしれませんね。
運動神経には定評があったものの、不利となったのはやはり細身で軽量だったこと。
当時は先輩はもちろん、後輩も体格が大きい選手が多かったので太れなかったのは本当に辛かったと思います。
精一杯食べて体重を増やしても、長い巡業から戻った時には体重が減っていたということもあったのだとか・・・。
現在は小柄でも活躍している選手は多いですから、今の時代に現役だったらもっと活躍できたかも・・・なんて思ってしまいます。
小松美加 カナダへ
1987年、相棒の永友香奈子さんが引退したことでオペロン同盟は解消。
そして、それにより小松美加さんは特定の選手とペアを組むという感じではなくなりました。
これからの動向が気になっていたところで、同年夏に大先輩のデビル雅美さんと共にカナダ・カルガリーへ遠征することになりました。
小松美加さんにとって、初の海外遠征。
出発する前はイヤでイヤで仕方がなくかなり悩み落ち込んでいたそうですが、カルガリーでのサーキットは小松美加さんにとって充実したものとなり、帰国した時には一皮むけた雰囲気がありました。
さらに、翌年の1988年には同期の小倉由美さんと一緒に二度目のカルガリー遠征へ。
帰国後は小倉由美さんとのペア「カルガリータイフーンズ」として、第88代WWWA世界タッグ王者にも輝く活躍を見せてくれました。
そして、それにより小松美加さんは特定の選手とペアを組むという感じではなくなりました。
これからの動向が気になっていたところで、同年夏に大先輩のデビル雅美さんと共にカナダ・カルガリーへ遠征することになりました。
小松美加さんにとって、初の海外遠征。
出発する前はイヤでイヤで仕方がなくかなり悩み落ち込んでいたそうですが、カルガリーでのサーキットは小松美加さんにとって充実したものとなり、帰国した時には一皮むけた雰囲気がありました。
さらに、翌年の1988年には同期の小倉由美さんと一緒に二度目のカルガリー遠征へ。
帰国後は小倉由美さんとのペア「カルガリータイフーンズ」として、第88代WWWA世界タッグ王者にも輝く活躍を見せてくれました。
1988年発売