独創的な漫画家として有名な花輪和一さん
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花輪和一さんの経歴
中学生の頃から絵を描くことに没頭していたという花輪和一さん。母親は再婚していますが、義父の暴力は酷く、家庭環境は劣悪だったそうです。そんな状況から逃げ出すように、中学卒業と同時に上京し、当時は工場勤務をしながら、雑誌の挿絵を描くといった仕事もしていたと言います。
やがて『月刊漫画ガロ』連載の、つげ義春さんの作品『ねじ式』を通じて漫画という分野にも興味をもち、自身も投稿してみると、入選して、本格的に漫画家デビューを飾ります。
活動当初の作風は、エロ・グロ描写のある猟奇的なものでした。デビューしてから数年後、漫画家としての活動を休止していた時期がありますが、新しい雑誌が創刊されるにあたって依頼がきたことで復帰。この頃から、怪奇ファンタジーながらも、中世の日本を舞台にした時代劇を描くようになって作風に変化がみられます。
活動当初の作風は、エロ・グロ描写のある猟奇的なものでした。デビューしてから数年後、漫画家としての活動を休止していた時期がありますが、新しい雑誌が創刊されるにあたって依頼がきたことで復帰。この頃から、怪奇ファンタジーながらも、中世の日本を舞台にした時代劇を描くようになって作風に変化がみられます。
それらの元々の所有者であるガンマニアの友人は逮捕前に、花輪和一さんにコレクションの処分を頼んでいたのだそうです。しかし、なかなか処分することができずに自宅に保管していたようで、警察による捜査の手は、花輪和一さんの自宅にも及んで現行犯逮捕されてしまいます。
その後、1995年、在宅起訴となり、裁判では懲役3年の実刑判決を受けました。当時は、初犯では異例の執行猶予なしといった判決に物議を醸しましたが、花輪和一さんは素直に判決を受け入れ、刑務所で服役することになります。
その後、1995年、在宅起訴となり、裁判では懲役3年の実刑判決を受けました。当時は、初犯では異例の執行猶予なしといった判決に物議を醸しましたが、花輪和一さんは素直に判決を受け入れ、刑務所で服役することになります。
1997年に仮釈放された花輪和一さん。出所後に発売された漫画『刑務所の中』は、刑務所での服役を描いたことで大ヒットを記録し、映画化も実現しました。この作品は第5回の手塚治虫文化賞の最有力候補にもなりましたが、花輪和一さんが手塚治虫さんからの影響は受けていないという理由で受賞を拒否しています。
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ミドルエッジ内に、すでに花輪和一さんのことを紹介した記事がありますので、こちらもご覧になってみてくださいね。
漫画家→銃刀法違反で逮捕→懲役→大ヒット作『刑務所の中』誕生の作者『花輪和一』!! - Middle Edge(ミドルエッジ)
『月刊漫画ガロ』1971年7月号掲載の『かんのむし』で漫画家としてデビューした漫画家・花輪和一先生、自らも逮捕・懲役刑を経験し、生み出された漫画『刑務所の中』の作者・花輪和一先生をまとめてみました。
花輪和一さんにまつわるエピソード
実刑判決となった背景
初犯では異例といえる執行猶予なしの実刑判決。その背景にあったのは、北海道内でロシア人による銃器密売が後を絶たず、当時は社会問題になっていたためだと言われています。当時の裁判での判決は”見せしめ”といった意味合いが強く、通例よりも厳罰化されたのではないかと推測されました。関係者は判決内容が重すぎるので控訴するつもりだったようですが、花輪和一さんが素直に受け止めたというから驚きです。
『ちびまる子ちゃん』の花輪くん
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しかし、『ちびまる子ちゃん』の花輪くんは、お金持ちのお坊っちゃん。独特の話し方をするキャラクターで、あまり漫画家の花輪和一さんと重なるようなイメージはありません。あくまで華やかな印象のある名前だけ拝借したといったところなのでしょうか。
花輪和一さんの主な代表作品
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内容&あらすじ
伊藤彦造から影響を受けた、緻密で力強い描線の絵柄と人の業や怨念を全力でナンセンスに仕立て上げた「赤ヒ夜」を代表とする耽美な初期作品、さらに舞台を中世へと移し、妖怪でも化け物でもない奇妙な生物の登場と共に、人間の底なしの生命力と血まみれ汗まみれの煩悩をさらに深く掘り下げ、物語を高度化させていった80年代の作品を収録。
生年月日:1947年4月17日
出生地 :埼玉県大里郡寄居町
職業 :漫画家
活動期間:1971年~