【緑魔子】エキゾチックな魅力を放つ魔性の女!その脱ぎっぷりや夫・石橋蓮司のことも!
2021年5月15日 更新

【緑魔子】エキゾチックな魅力を放つ魔性の女!その脱ぎっぷりや夫・石橋蓮司のことも!

美人女優として名を馳せた緑魔子さん。その美しさも去ることながら、脱ぎっぷりの良さで多くの男性ファンを魅了しました。おっぱいは大きくありませんでしたが、貧乳好きには堪りませんよね。俳優・石橋蓮司さんの妻としても有名です。今回の記事では、そんな彼女の全盛期を振り返っていきたいと思います。

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マルチな活躍ぶりをみせた緑魔子さん

本名  :石橋良子
     (本名:小島)
生年月日:1944年3月26日
血液型 :A型
出生地 :台湾・台北市
職業  :女優
活動期間:1964年~

緑魔子さんの経歴

1944年、台湾・台北市で生まれた緑魔子さん。当時は戦時中だったため、台湾は日本が統治しており、終戦に伴ない帰国し、高校卒業まで宮崎県児湯郡で過ごしました。ご両親は貧乏で、生活は苦しく、中学生から家庭教師のアルバイトをしていたそうです。
https://www.irasutoya.com/2013/09/blog-post_1467.html (2276598)

英会話が得意で、高校二年生のときには英語の弁論大会で九州地区一位にもなったそう。その時は、将来、英会話を活かした仕事をしたかったそうですが、経済的な理由でそれも叶わなかったといいます。
高校卒業後は上京し、家政婦やホステスといった仕事をするも、女優を目指すようになります。本名の”小島良子”でNHK演技研究所に在籍し、その後は、東宝ニューフェイスとしてご活躍されました。
1964年、東映の映画『二匹の牝犬』のヒロインに抜擢され、緑魔子さんは映画デビュー。新人ながらも、その演技力の高さや、制作スタッフも驚くほどの大胆なヌードを披露して、ブルーリボン賞新人賞を獲得、映画の興行成績も大成功を収めます。
この映画を通じ、配役のイメージや新鮮さの象徴として緑、魔性を秘めた女、この二つの意味を込めた『緑魔子』の芸名を命名されました。
デビュー作品で勢いを得た緑魔子さんは、映画だけに止まらずテレビドラマでも活躍するように。そして、映画『夜の青春』シリーズの共演を通じて石橋蓮司さんとの交際が始まり、お二人は事実婚の関係になります。
東映の専属女優として活躍してきた緑魔子さんですが、1968年に解雇されてしまいました。ヌード・濡れ場を前提としたポルノ映画のような作品ばかりに出演させられ、その我慢が限界に達したよう。そのことを会社に抗議すると、そんなことでは映画界ではやっていけないと衝突したことが解雇処分の理由みたいです。
しかし、その演技力は本物で、ご本人が納得すれば全裸になることも辞さない緑魔子さん。そんな彼女を周囲が放っておくわけもなく、他社からは出演オファーは殺到すしることになります。

1976年、当時は事実婚状態にあった石橋蓮司さんと共に劇団『第七病棟』を設立。使われなくなった建物を改造した劇場で主演を務め、それ以降は、映画出演は数年に一度の頻度になり、舞台女優としての活動が中心になっていきました。

緑魔子さんと夫・石橋蓮司さんとの関係性

現在では、数々の映画・テレビドラマでご活躍されている石橋蓮司さん。恐い悪役や哀愁漂う中年・お年寄りといった印象が強い個性派俳優ですよね。
緑魔子さんと石橋蓮司さんはご夫婦というのも有名だと思います。しかし、お二人の奇妙な関係性については、少し一般的なものとは違うようなのでご紹介させていただきたいと思います。
お二人の出会いは、1965年公開の『夜の青春』シリーズ『かも』での共演でした。その後も共演する機会に恵まれ、お互いの距離は次第に近くなっていきます。そして、同棲生活を始めますが、形式的なものに捉われず、1972年、お二人の間には女の子が生まれますが、それでも婚姻届は提出せずに事実婚状態にありました。
転機が訪れたのは1979年。愛娘が小学生になって、入学手続きをする際、婚姻届を出したほうが手続きを簡略化できると学校の先生にすすめられたため、とうとうお二人は正式な夫婦となります。
https://www.irasutoya.com/2013/05/blog-post_1453.html (2276612)

1980年代の半ばには緑魔子さんと石橋蓮司さんは別居するように。その理由は、すぐケンカになってしまうためなのだといいます。しかし、一緒に芝居したり、競馬に行くなど、二人の関係性は悪くなかったようです。
2012年には30代女性と半同棲生活にあると、石橋蓮司さんの不倫疑惑が報じられました。
この疑惑に対し、石橋蓮司さんはあくまで家事を手伝ってもらっているだけだと話して否定されました。本当のところは定かではありませんが、この報道後も緑魔子さんと石橋蓮司さんは離婚することもなく、その意思もなさそうです。
ずっと別居しながら、婚姻関係を続けているというところに一般的な感覚との違いがありますよね。夫婦というより、同志・パートナーといった表現のほうがお二人には合っているように思えます。
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