宮脇康之さんのプロフィール
本名:宮脇 康之
生年月日:1961年6月13日(58歳)
出身地:東京都
職業:俳優
活動期間:1964年~
所属事務所:麗タレントプロモーション芸能部
(子役時代の所属は『日本児童劇団』属)
2000年から芸名を『宮脇健』とし、本名の宮脇康之さんは旧芸名でもあります。
母親の幸子さんが人見知りだった宮脇さんをハキハキした元気な子に育てたいという願いで3歳の時に劇団に入れます。
宮脇康之さん出演『ケンちゃんシリーズ』
宮脇康之さんの子役デビューは、1966年公開の山田洋次監督の『運が良けりゃ』でした。その後、1966年4月4日~1967年4月1日にNHKで放送された「おはなはん」に出演も続き、まだ就学前の宮脇さんですが、その後、大ヒットシリーズとなる『ケンちゃんシリーズ』に出演することになります。
その『ケンちゃんシリーズ』はこちらです!
その『ケンちゃんシリーズ』はこちらです!
■チャコねえちゃん(1967年4月6日 - 1968年3月28日)
■チャコとケンちゃん(1968年4月4日 - 1969年3月27日)
■ジャンケンケンちゃん(1969年4月3日 - 1970年2月26日)
■ケンちゃんトコちゃん(1970年3月5日 - 1971年3月4日)
■すし屋のケンちゃん(1971年3月11日 - 1972年3月2日)
■ケーキ屋ケンちゃん(1972年3月9日 - 1973年3月1日)
■おもちゃ屋ケンちゃん(1973年3月8日 - 1974年2月28日)
■ケンにいちゃん(1974年3月7日 - 1975年2月27日)
■おそば屋ケンちゃん(1975年3月6日 - 1976年2月26日)
■フルーツケンちゃん(1976年3月4日 - 1977年2月24日)
■なかよしケンちゃん第45話(1982年1月14日)
■チャコとケンちゃん(1968年4月4日 - 1969年3月27日)
■ジャンケンケンちゃん(1969年4月3日 - 1970年2月26日)
■ケンちゃんトコちゃん(1970年3月5日 - 1971年3月4日)
■すし屋のケンちゃん(1971年3月11日 - 1972年3月2日)
■ケーキ屋ケンちゃん(1972年3月9日 - 1973年3月1日)
■おもちゃ屋ケンちゃん(1973年3月8日 - 1974年2月28日)
■ケンにいちゃん(1974年3月7日 - 1975年2月27日)
■おそば屋ケンちゃん(1975年3月6日 - 1976年2月26日)
■フルーツケンちゃん(1976年3月4日 - 1977年2月24日)
■なかよしケンちゃん第45話(1982年1月14日)
なんとこのシリーズの平均視聴率は25%を記録しています。実質、『ケンちゃんシリーズ』は1969年4月3日放送開始の「ジャンケンケンちゃん」からになります。それ以前は、お姉さん役が登場するチャコちゃんが主体になっている内容ということになりますね。
宮脇康之さんのより子役としての演技力に人気がシフトしていきます。
宮脇康之さんのより子役としての演技力に人気がシフトしていきます。
宮脇康之さんの天才子役と言われた時代
小学生になった宮脇康之さんが出演して大人気になった「ケンちゃんシリーズ」のころのピークで、宮脇さんの年収は当時で「年収は7000万~8000万円』だったと言われています。
宮脇さんのお父さんは帝京高校の教師をされていたとのちの『週刊FLASH 2017年12月12日号』で語っていますが、父親の年収をはるかに超える収入があった小学生時代と言うのもなんだか怖い様な気がします。
もちろん、お金の管理は親がされていたと思われますが、のちに宮脇さんが語ったところによると、小学校4年生で月のお小遣いが20万円だったという事です。
子供なので、駄菓子屋で箱買いという大人買いしてもお金が余っている、そしてそのお金の大人が群がる現象が起きていたと言います。
例えば、小学校4年生の時の実際の話では、銀座の高級クラブに連れていかれ、大人たちがドンチャン騒ぎ状態の中、支払いは宮脇さんだったという事です。
現在の「子役」と呼ばれる中には、時代を代表する子供も確かに存在し、次々登場していますが、宮脇さん自身が「子役」と言う職業を確立させた先駆けの人と言うのは間違いないですね。
中学生になってからは自分のために使うお金も例えば、趣味のカメラにも500万円以上するカメラを衝動買いするような状況だったということです。
今で考えても一般のサラリーマンの年収にもあたるその金額の買い物を一瞬で出来てしまえたということですよね。
宮脇さんのお父さんは帝京高校の教師をされていたとのちの『週刊FLASH 2017年12月12日号』で語っていますが、父親の年収をはるかに超える収入があった小学生時代と言うのもなんだか怖い様な気がします。
もちろん、お金の管理は親がされていたと思われますが、のちに宮脇さんが語ったところによると、小学校4年生で月のお小遣いが20万円だったという事です。
子供なので、駄菓子屋で箱買いという大人買いしてもお金が余っている、そしてそのお金の大人が群がる現象が起きていたと言います。
例えば、小学校4年生の時の実際の話では、銀座の高級クラブに連れていかれ、大人たちがドンチャン騒ぎ状態の中、支払いは宮脇さんだったという事です。
現在の「子役」と呼ばれる中には、時代を代表する子供も確かに存在し、次々登場していますが、宮脇さん自身が「子役」と言う職業を確立させた先駆けの人と言うのは間違いないですね。
中学生になってからは自分のために使うお金も例えば、趣味のカメラにも500万円以上するカメラを衝動買いするような状況だったということです。
今で考えても一般のサラリーマンの年収にもあたるその金額の買い物を一瞬で出来てしまえたということですよね。
宮脇康之さんの天才子役の裏の真実
宮脇康之さんの天才子役と言われていた半面、その裏では壮絶な過去があったと言います。学校での事、家族としての形、俳優としての将来など、天才子役としての表と影をのちの著書で明かされて話題になりました。
宮脇康之さんが30代になって初めて明かされた「ケンちゃん」の裏の真実ですが、それまで語られなかったの理由は、それだけケンちゃんという子役に対して世間が持っているイメージを大切にしてきたんだろうなと言うのを感じます。
そして、ケンちゃんを卒業しても芸能界と言う特殊な世界でやっていこうとしていたというのにも繋がると思います。
そして、ケンちゃんを卒業しても芸能界と言う特殊な世界でやっていこうとしていたというのにも繋がると思います。
宮脇康之さんの子役イメージ脱皮の作品
当時新人だった森田芳光監督が、アイドル映画に続いて手がけたロマンポルノ。お金のためにマナ板ショーに臨む人気ストリッパーと、そんな彼女の虜となった純朴青年の青春を描く。出演は岡本かおりと宮脇康之ほか。
via amzn.to
Amazon | (本)噂のストリッパー [Blu-ray] | 映画
¥3,703
1982年公開の映画『(本)噂のストリッパー 』に出演した時、宮脇康之さんは20歳を過ぎ、子役時代のケンちゃんのイメージから大人の役者・宮明康之への転機あるべく作品として注目されました。
また、「家族ゲーム」や「失楽園」というのちに大ヒットとなる作品の監督としても有名な故森田芳光監督のまだ新人のころの監督作品でもあります。
また、「家族ゲーム」や「失楽園」というのちに大ヒットとなる作品の監督としても有名な故森田芳光監督のまだ新人のころの監督作品でもあります。
この作品に宮脇康之さんが出演したことについて、イメージとしては、子役であれだけ有名になった宮脇康之さんがポルノ映画に出演したということで、そのあまりにも違うこれまでのイメージとのギャップに戸惑ってしまったというファンも少なくなかったはずです。
宮脇康之さんは芸能界を干された?
子役で大ブレイク!10歳の時には、気に入らないことがあると、自分の一言でスタッフを変えてしまうほど「独裁」と言われる一面も...。
中学校に入ると、プライベートではイジメられる日々、高校生では芸能コースのある学校でと親からの監視がなくなり、自由に遊びまわる生活をしていたと言います。
19歳の時に当時大人気だった三原じゅん子さんと交際宣言をします。そのことで一時期注目されますが、子役の時の様なブレイクすることはありませんでした。子役脱皮のためのポルノ映画への出演をするもその後も芸能界で役者としての仕事に恵まれず、ついに芸能界を干されたともいわれる様に...。
それでも借金返済のために様々な仕事をした宮脇康之さん。地上げ屋、マハラジャの黒服、ガスの検針など様々な仕事をしてきたと言います。
その中で、元チャンバラトリオの結城哲也さんに声をかけてもらい、運転手などしていたり、その伝手で吉本新喜劇の舞台に立ったこともあったそうですが、その後の仕事には恵まれていません。
中学校に入ると、プライベートではイジメられる日々、高校生では芸能コースのある学校でと親からの監視がなくなり、自由に遊びまわる生活をしていたと言います。
19歳の時に当時大人気だった三原じゅん子さんと交際宣言をします。そのことで一時期注目されますが、子役の時の様なブレイクすることはありませんでした。子役脱皮のためのポルノ映画への出演をするもその後も芸能界で役者としての仕事に恵まれず、ついに芸能界を干されたともいわれる様に...。
それでも借金返済のために様々な仕事をした宮脇康之さん。地上げ屋、マハラジャの黒服、ガスの検針など様々な仕事をしてきたと言います。
その中で、元チャンバラトリオの結城哲也さんに声をかけてもらい、運転手などしていたり、その伝手で吉本新喜劇の舞台に立ったこともあったそうですが、その後の仕事には恵まれていません。
その後の宮脇康之さんは?
2001年にようやく借金を完済。現在はインターネットビジネス事業で成功を収め、妻と高校2年生の長男と小学4年生の長女の4人で幸せな生活を送っている。
「ぼくは子供のころ、家族の団欒を経験したことがない。今、父親になって家族のあたたかさを味わっています。今が最高に幸せです」
1996年に宮脇康之さんの借金を知りながら、「一緒に返していこう」と言ってくれて、一般人の方と結婚しています。情報では美容師をされている女性とのことでしたが、普通に生活されているんだということですね。これが2014年の報道です。
家族の中でも、母親は宮脇康之さんに付きっ切りだったために、家の中の事は置き去りにしてしまい、6歳年上のお兄さんがいましたが、食事もカップラーメンの生活をさせてしまい、挙句の果てにお兄さんは自殺未遂を図ったことがあったこと、
また、1978年に個人事務所の設立しようと父親と共同経営者がいましたが、その資金を共同経営者に持ち逃げされて多額の借金が残ってしまったこと。
その3年後、宮脇さんが20歳になったのを待っていたかの様に両親が離婚し、父親は別の女性と暮らし、母親も兄と一緒に東京から実家の愛媛に戻ってしまったことで、宮脇さんは一人にされてしまったことなど、当時は知られることがなかった実態が綴られています。
その後も芸能界に残ることを決めた宮脇康之さんでしたが、子役時代のように仕事に恵まれることがなかったと言います。
自身もその後、甘い罠にひっかかり、何度も連帯保証人になっては騙され、2億、3億ともいわれるほどの借金を抱える事になります。