昭和を代表する歌手・俳優の萩原健一さん死去。
昭和から平成にかけて芸能界をけん引してきた歌手・俳優の萩原健一さんが3月26日、GIST(消化管間質腫瘍)のため都内の病院で亡くなっていたことが明らかとなりました。68歳でした。
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【速報】萩原健一さん死去 68歳 「ショーケン」の愛称で一時代築くhttps://t.co/zD4eMICkNa
— 地震・ニュース速報@Yahoo!ニュース (@YahooTopicsEdit) March 28, 2019
2011年から秘密裏に闘病生活を送っていました。
2011年から闘病生活を送っていたという萩原さん。本人の希望により病名は公にせず、ひそかに闘病していたものの、3月25日に容体が急変。妻でモデルのリカさんに看取られる形で、眠るように息を引き取ったとのことです。なお、既に葬儀は家族のみで営まれ、お別れ会などは現時点で予定はないとのこと。
60年代、70年代、80年代…ショーケンの生きた昭和を振り返る。
1960年代にグループサウンズ「テンプターズ」のボーカルとしてデビューして以来、歌手・俳優として一時代を築いた萩原健一さん。輩出したヒット曲や出演映画などは多岐にわたります。ここでは、昭和における萩原さんの功績を振り返ります。
60年代
1967年、GS「テンプターズ」のボーカルとして歌手デビューを果たした萩原さん。アイドル的なルックスで、ジュリーこと沢田研二さんと双璧をなす人気を博しました。同バンドにて「エメラルドの伝説」「おかあさん」などヒット曲を連発しましたが、GSブームの終焉とともにテンプターズは解散しました。
The Tempters Legend Of Emerald
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70年代
テンプターズが解散した1970年、ジュリーらと手を組みバンド「PYG」を結成した萩原さん。バンドを通じてロックを志したものの、この時期から活動の場を音楽から映画へとシフトさせていきました。1972年には松竹映画「約束」で助監督および主演を務め、以降俳優としての活動を本格化。中でもドラマ「太陽にほえろ!」の“マカロニ”は当たり役となりました。
「太陽にほえろ!」以外でもドラマ「傷だらけの天使」「前略おふくろ様」などで主演を務め、ヒット作を連発。歌手に留まらない“俳優・萩原健一”の人気を不動のものとしました。また私生活では、1975年にモデルの小泉一十三と結婚するものの、3年で離婚しています。
80年代
80年代は、私生活で世間を騒がせることが多かった萩原さん。1980年にいしだあゆみさんと結婚したものの、1984年には離婚。そして1983年には大麻所持で逮捕。また1984年には飲酒運転で人身事故を起こしてしまうなど、ワイドショーでその顔を見ることが多かったのですが、芸能活動としては「愚か者よ」などのヒット曲を輩出、また日本アカデミー優秀主演男優賞を受賞するなど、トップスターとしての活躍ぶりは健在でした。
90年代以降も歌手・俳優としての活躍を続け、2011年には現在の妻であるリカさんと結婚した萩原さん。2018年には22年ぶりのシングルを発表するなど、闘病生活と並行し芸能活動を精力的に続けてきただけに、このたびの訃報は残念でなりません。ご冥福をお祈り申し上げます。
I.O 2020/2/25 21:39
ショーケンこと萩原健一さんがこの世を去って間もなく1年。そのショーケンさんが太陽にほえろ!降板から1年後に出演したドラマが、初主演作となる「傷だらけの天使!」でした。その傷だらけの天使が来月下旬のショーケンさん1周忌記念としてCS・日本映画専門チャンネルで2日間連続で集中放送されることが決まりました。