アマゾンでの様々な魚たちとの格闘の記録です。1978年とはいえ、今のようにそう簡単に海外旅行が出来る時代でもなく、ましてや魚を求めてアマゾンまで赴くというのななかなか前例のないことです。
それだけにワクワクする。ピラニアって凄いんだということがリアルに伝わります。只の釣り師ではない。さすが芥川賞作家です。
アマゾンでの魚釣りといわれても、ピンとこないですもんね。
それだけにワクワクする。ピラニアって凄いんだということがリアルに伝わります。只の釣り師ではない。さすが芥川賞作家です。
アマゾンでの魚釣りといわれても、ピンとこないですもんね。
#004 開高健が魅せられたアマゾンフィッシング
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ヒットすると続編が作られるというのは、よくあることです。例え作家が嫌がっても出版社が半ば強制的に書かせる。それも良く聞く話です。「オーパ!」の場合も続編が出されるわけですが、開高健は自ら進んで取り組んだようですね。
事実上「オーパ!」の続編といえる「もっと遠く!南北両アメリカ大陸縦断記・北米篇」と「もっと広く! 南北両アメリカ大陸縦断記・南米篇」を1981年に朝日新聞社より発表した後、満を持して1983年に集英社から「海よ、巨大な怪物よ オーパ、オーパ!!アラスカ篇」を出します!
事実上「オーパ!」の続編といえる「もっと遠く!南北両アメリカ大陸縦断記・北米篇」と「もっと広く! 南北両アメリカ大陸縦断記・南米篇」を1981年に朝日新聞社より発表した後、満を持して1983年に集英社から「海よ、巨大な怪物よ オーパ、オーパ!!アラスカ篇」を出します!
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巨大。剛力。剽悍。孤高。聡明。 それがキング・サーモンである。 そういう魚である。 川の王である。 海の生物がとても荒々しく しかし 緻密にく描かれています。
何だかよく分かりませんが、開高健は大きな魚を求めて釣りを、旅をするんですね。キングサーモンもデカイ!入手は難しいかとは思いますが、キングサーモン釣りに挑戦した記録。釣りを通して発せられる開高語録が楽しめるDVD「開高健~河は眠らない~」はお勧めですよ。
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「海よ、巨大な怪物よ オーパ、オーパ!!アラスカ篇」から2年。1985年に出版されたのが「扁舟にて オーパ、オーパ!!カリフォルニア・カナダ篇」です。
砂漠の巨大湖でブラック・バスを、山麓の大河でスタージョンに挑んでします。今でこそ日本各地で釣ることが出来るブラック・バスですが、当時はまだまだ知る人ぞ知る存在でした。スタージョンとなると当時も今も耳慣れないですよね。怪魚です。怪魚。
さて、それから更に2年後の1978年には「王様と私 オーパ、オーパ!!アラスカ至上篇」と「宝石の歌 オーパ、オーパ!!コスタリカ篇スリランカ篇」の2冊を世に送り出します。
さて、それから更に2年後の1978年には「王様と私 オーパ、オーパ!!アラスカ至上篇」と「宝石の歌 オーパ、オーパ!!コスタリカ篇スリランカ篇」の2冊を世に送り出します。
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蒼白い水面を割って王様(キング)が跳ねる。始原の永久凍土をカリブーが駆ける!かつて砂金掘師が狂奔したアラスカの河岸に、世界じゅうの釣師が、巨大なキングサーモンを狙ってひしめく。小説家は、背痛をおして、氷寒の生と死の円環の中に、輝やく虚無となって立つ。“オーパ!”の世界はいまハンティングへ向かう。
スリランカの密室、宝石商の金庫は開かれ、息をのむような巨石、名石、奇石の数数が転がり出る。コスタリカの束の間の晴れ間、小説家はジャングルの巨魚に挑む。
そして2年後の1989年。開高健が亡くなった年、シリーズ最終作となる「国境の南 オーパ、オーパ!!モンゴル・中国篇」が出版されました。
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原始の静寂の湖面に白波が走る!12メートルの巨魚か、怪獣か?「私は戦略をたて、戦術を編むということでは将軍だけれど、現場で氷雨を浴びたり泥まみれになったりという点では、一兵卒である」小説家は書斎の闇を抜け出して、モンゴルの大草原へ、中国の最深部ハナス湖へ
最後まで携わっていたシリーズですからライフワークと呼んでもいいでしょう。最後まで釣り師であり、作家であった。世界中を旅し、人生を謳歌した。享年58。最高の人生、思い残すことは何もなかったのではないでしょうか?いや、もっと旅をしたかったのかな?もっと、もっと釣りをしたかったのかもしれませんね。
人生の達人、開高健。その代表作である「オーパ!」シリーズ。若い人にこそ知ってもらいたいです。忘れ去られてしまうには余りにも惜しい人物、余りにも惜しい作品。
人生の達人、開高健。その代表作である「オーパ!」シリーズ。若い人にこそ知ってもらいたいです。忘れ去られてしまうには余りにも惜しい人物、余りにも惜しい作品。