不人気の初代ー七宝焼きのグリル。
フロントスタイル(初期型)
バックスタイルは個人的にはカッコイイと思うのだが・・・フロントが・・・
フロントスタイル(後期型)
Q45は「ジャパン・オリジナル」のキャッチフレーズの元、従来の一般的な高級車のようにメッキ仕上げの大型フロントグリルを備えることなく、
グリルレスの薄いマスクに七宝焼きのエンブレムのみを取り付けた。また、高級車では当然の装備とされる木目パネルを一切使用せず、和の象徴ともいえる漆塗り(金粉蒔絵)のインストルメント・パネル(KOKONインスト)をオプションで設定するという。
世界の高級車の常識に挑戦するかのような斬新なコンセプトで発表された。ソフト面で日本文化を体現する一方で、その走りは北米市場の日産に対する期待を反映し、若かりし頃240Zに夢中になった「Z Car世代」をターゲットとしたスポーティーなものとされるなど、
こちらも異色であった。足回りは、前後ともマルチリンク式サスペンションで、901運動 の集成とも言える油圧式アクティブサスペンションを持つ仕様が日米ともラインナップされていた。エンジン出力は日本製自動車としてはじめて300馬力に達し、同時期に発表された日産・フェアレディZ(Z32型)・日産・スカイラインGT-R(BNR32型)とともに300馬力トリオとなる予定であった。しかしながら運輸省(当時)からの行政指導により、280馬力に自主規制された。
18金製のゴールドキー(価格52万円)がディーラーオプションで設定され、現物が銀座の日産本社ギャラリーで展示されていた。
グリルレスの薄いマスクに七宝焼きのエンブレムのみを取り付けた。また、高級車では当然の装備とされる木目パネルを一切使用せず、和の象徴ともいえる漆塗り(金粉蒔絵)のインストルメント・パネル(KOKONインスト)をオプションで設定するという。
世界の高級車の常識に挑戦するかのような斬新なコンセプトで発表された。ソフト面で日本文化を体現する一方で、その走りは北米市場の日産に対する期待を反映し、若かりし頃240Zに夢中になった「Z Car世代」をターゲットとしたスポーティーなものとされるなど、
こちらも異色であった。足回りは、前後ともマルチリンク式サスペンションで、901運動 の集成とも言える油圧式アクティブサスペンションを持つ仕様が日米ともラインナップされていた。エンジン出力は日本製自動車としてはじめて300馬力に達し、同時期に発表された日産・フェアレディZ(Z32型)・日産・スカイラインGT-R(BNR32型)とともに300馬力トリオとなる予定であった。しかしながら運輸省(当時)からの行政指導により、280馬力に自主規制された。
18金製のゴールドキー(価格52万円)がディーラーオプションで設定され、現物が銀座の日産本社ギャラリーで展示されていた。
1989年 インフィニティQ45 NISSAN INFINITI Q45 CM
via www.youtube.com
北米仕様
北米仕様においては日本仕様に比べてよりパーソナルカー的な性格が強く、ベースグレードの「Q45」のほかに、リアスポイラーやBBSのホイールなどが装備され、日本仕様にはないスーパーHICASの設定があったツーリングモデルの「Q45t」、そして、アクティブサスペンションなどが装備された「Q45a」が設定された。また馬力が規制された日本国内向と異なり、フェアレディZとともに日本車としては初の300馬力コンビとなった。
一時はレクサスLS=トヨタ・セルシオとの個性の違いから、一部での評価は高かったものの、実際にこのクラスのクルマを購入する層の多くには受け入れられることはなかった。それはLS/セルシオが既存の高級車像を追い求め、それを高度に洗練していったのに対し、Q45はそういった旧来の高級車像とはかけ離れた、独自の価値観を追い求めていたことにある。
Q45の特徴でもあったグリルレスデザインは、大多数のユーザーやその予備軍には不評で、アフターマーケットで販売されていたホシノインパル製などのフェイクグリルを装着するユーザーが多く、エアロパーツのメーカーも自社のエアロに合わせて後付けのフロントグリルを開発していた。その後、1993年(平成5年)6月に行われたマイナーチェンジでは、
七宝焼きエンブレムや漆インパネが廃止され、ローバー・800に似たフロントグリルと木目パネルが取り付けられることになり、デビュー時に提唱したQ45独自の高級車観が最後まで貫かれることはなかった。
発表の翌年、このクルマ(G50型)をベースとしてプレジデント(JG50型 JはJapan、日本国内専用の意といわれている)が誕生している。こちらでは最初から大きなフロントグリルが装着されている。
一時はレクサスLS=トヨタ・セルシオとの個性の違いから、一部での評価は高かったものの、実際にこのクラスのクルマを購入する層の多くには受け入れられることはなかった。それはLS/セルシオが既存の高級車像を追い求め、それを高度に洗練していったのに対し、Q45はそういった旧来の高級車像とはかけ離れた、独自の価値観を追い求めていたことにある。
Q45の特徴でもあったグリルレスデザインは、大多数のユーザーやその予備軍には不評で、アフターマーケットで販売されていたホシノインパル製などのフェイクグリルを装着するユーザーが多く、エアロパーツのメーカーも自社のエアロに合わせて後付けのフロントグリルを開発していた。その後、1993年(平成5年)6月に行われたマイナーチェンジでは、
七宝焼きエンブレムや漆インパネが廃止され、ローバー・800に似たフロントグリルと木目パネルが取り付けられることになり、デビュー時に提唱したQ45独自の高級車観が最後まで貫かれることはなかった。
発表の翌年、このクルマ(G50型)をベースとしてプレジデント(JG50型 JはJapan、日本国内専用の意といわれている)が誕生している。こちらでは最初から大きなフロントグリルが装着されている。
対セルシオ
セルシオ
トヨタのセルシオと同時期の発表の失敗!!
結局、インフィニティQ45はセルシオに対し、このクラスでの国内市場では完全敗北を喫することとなった。新型車販売こそ不振だったものの、その車格と低い市場価格ゆえに中古車市場ではプレジデントと並び人気VIPカーの一つとして持ち上げられるようになり1990年代後半以降巷で多く見かけられた。
この後、日産はインフィニティブランドの日本再展開を検討したこともあったものの実現に至っていなかったが、2014年デビューの13代目スカイラインにおいて国内仕様でもインフィニティエンブレムを採用している。ただし、Q45が「日産ブランド車」の車種階層に組み込まれていたのに対し、
13代目スカイラインでは、インフィニティブランドとして日産ブランドと一線を引いたスタンスをとっている。
この後、日産はインフィニティブランドの日本再展開を検討したこともあったものの実現に至っていなかったが、2014年デビューの13代目スカイラインにおいて国内仕様でもインフィニティエンブレムを採用している。ただし、Q45が「日産ブランド車」の車種階層に組み込まれていたのに対し、
13代目スカイラインでは、インフィニティブランドとして日産ブランドと一線を引いたスタンスをとっている。
初代インフィニティQ45の歴史
旧車カタログ 平成1年 後期型 日産インフィニティQ45 INFINITI Q45 1989
via www.youtube.com
1989年11月 - 国内販売開始。
1993年6月 - マイナーチェンジ。フロントにグリルが取り付けられ、リヤガーニッシュの色が黒からグレーに変更される。
1996年 - 北米では一足先に2代目Q45(FY33型シーマ)にモデルチェンジ。
1997年9月 - FY33型シーマに統合される形で生産終了。
1993年6月 - マイナーチェンジ。フロントにグリルが取り付けられ、リヤガーニッシュの色が黒からグレーに変更される。
1996年 - 北米では一足先に2代目Q45(FY33型シーマ)にモデルチェンジ。
1997年9月 - FY33型シーマに統合される形で生産終了。