はじめに
突然だが《大手出版社》と言えばどこが浮かぶだろうか?
わたしは文庫本を気にしがちな人間なので、出版社と言えば講談社、集英社、文藝春秋、新潮社、角川あたりが五大出版社のように感じてしまうが、これはジャンルによって人によってそれぞれ違ってくるものなのだろう。
角川は、今でこそ大手出版社の筆頭のような状態だが、無論最初から大々的な商売をしていたわけではなかった。
今回はそんな角川書店のあれこれについて取り上げてみよう。
わたしは文庫本を気にしがちな人間なので、出版社と言えば講談社、集英社、文藝春秋、新潮社、角川あたりが五大出版社のように感じてしまうが、これはジャンルによって人によってそれぞれ違ってくるものなのだろう。
角川は、今でこそ大手出版社の筆頭のような状態だが、無論最初から大々的な商売をしていたわけではなかった。
今回はそんな角川書店のあれこれについて取り上げてみよう。
角川源義氏
角川書店の創業者にして国文学者、俳人である。
生まれは1917年。亡くなったのは1975年のこと。
生まれは1917年。亡くなったのは1975年のこと。
辺見じゅん(作家、幻戯書房代表)、角川春樹(俳人、角川春樹事務所会長兼社長、幻戯書房会長)、角川歴彦(KADOKAWA会長)の父。
学生時代から俳句や国語、民俗学に強い興味を持っていたようである。
また角川は俳句や短歌といった短詩系文学にも力を入れており、実際『短歌』『俳句』という雑誌もつくっているが、おそらくこれには源義氏の影響が強かっただろう。
また角川は俳句や短歌といった短詩系文学にも力を入れており、実際『短歌』『俳句』という雑誌もつくっているが、おそらくこれには源義氏の影響が強かっただろう。
昭和文学全集
via www.amazon.co.jp
図書館でまとめて、あるいは古書店でぱらぱらと見かけることがある全集である。
見ての通りの《ザ・全集》といった感じの存在で、中身もおかたい。
これを全て読みきればかなりの文学的経験値を得ることができるだろう。
ただし現在においては全25巻をまとめて手に入れることが至難かもしれない。
見ての通りの《ザ・全集》といった感じの存在で、中身もおかたい。
これを全て読みきればかなりの文学的経験値を得ることができるだろう。
ただし現在においては全25巻をまとめて手に入れることが至難かもしれない。
角川春樹氏
1942年生まれ、角川源義氏の息子である。
彼のことになるとどこから話せばいいのかだいぶ迷ってしまう。
離婚歴アリ、逮捕歴アリ、角川春樹事務所の会長にして幻戯書房の会長である。
wikiによると、
彼のことになるとどこから話せばいいのかだいぶ迷ってしまう。
離婚歴アリ、逮捕歴アリ、角川春樹事務所の会長にして幻戯書房の会長である。
wikiによると、
角川 春樹(かどかわ はるき、1942年1月8日 - )は、日本の実業家、映画監督、映画プロデューサー、俳人、冒険家。
こうである。なるほど彼らしい。
こういう紹介の仕方をしてしまうといかにもアヤシイ人物になってしまうが、自社でだしている小説を自社で映画化、それに大々的な広告をつけていくという《角川映画》を開発したことは大きな功績のひとつであろう。
こういう紹介の仕方をしてしまうといかにもアヤシイ人物になってしまうが、自社でだしている小説を自社で映画化、それに大々的な広告をつけていくという《角川映画》を開発したことは大きな功績のひとつであろう。
「野性時代」
現在の雑誌名は「小説 野性時代」。
1970~90年代にかけて刊行されていたものはB5判であり、2003年から新創刊された「野性時代」はA5判とサイズが違うらしい。
雑誌名が変わったのは2011年から。
1970~90年代にかけて刊行されていたものはB5判であり、2003年から新創刊された「野性時代」はA5判とサイズが違うらしい。
雑誌名が変わったのは2011年から。
via www.amazon.co.jp
1980年代にあったとされる角川映画と文学の黄金期の象徴的とも言える雑誌。
当時の角川を語るうえで欠かせないもののひとつであろう。
単にメディアミックスに力を入れていただけではなく、池田満寿夫「エーゲ海に捧ぐ」が芥川賞をとったり、「大浪花諸人往来」「蒲田行進曲」「時代屋の女房」「遠い海から来たCOO」が直木賞をとったりとヒットを飛ばしていた。
当時の角川を語るうえで欠かせないもののひとつであろう。
単にメディアミックスに力を入れていただけではなく、池田満寿夫「エーゲ海に捧ぐ」が芥川賞をとったり、「大浪花諸人往来」「蒲田行進曲」「時代屋の女房」「遠い海から来たCOO」が直木賞をとったりとヒットを飛ばしていた。
人間の証明
角川映画のひとつ。1977年公開。
via www.amazon.co.jp