山下清をモデルにしたドラマ「裸の大将放浪記」
画家・山下清(配役は芦屋雁之助)をモデルとしたドラマ。
八幡学園の施設職員に追われながらも、シャツに短パン姿で方々の地元民におむすびを貰いながら隠密旅をする。そして、去り際には絵を残し「山下清」であることをカムアウトする水戸黄門ライクなドラマ。
視聴者から続編が待望され、熱い要望を受けたこともあり、雁之助さん自身、知人から助言を受け、がんばろうと考え直されたことから続編が製作された。
翌1984年10月に復活。13回目で死亡した前期とはストーリーを変え、清が天才画家として有名になったところから始まる。1997年まで放送された。最終回は放浪癖をやめて、八幡学園に戻ったところで終わっている。
芦屋雁之助演じる山下清の大好物は「おむすび」!
毎回のように山下清は舞台となった土地の人に、おむすびを恵んでもらっていた。
その台詞は下記のようなものだったと思う。
言い逃れの嘘(方便)だった!
清はおむすびが好物で、たずね行く街で「お母さんに死ぬ間際に『おなかがすいたら出会った人たちからおむすびをもらって食べるように』言われた」といって人々から施しを受ける。
しかしこれは言い逃れるための嘘で、ドラマまたは史実も含め、清の母は清の死後に亡くなっており、清の最期も看取っている。
「焼きおにぎり」の回もあった!
病身の父(藤岡琢也)の代わりに和美が取り仕切る工場。
伝統の手作り醤油が自慢だが、業績は厳しい状況。
そんな時、融資をしている銀行が、他社への吸収合併を持ちかけてくる。
不利な契約をしようとする合併先の社長に、醤油の味を確認してもらう。
なんとか味の素晴らしさを認めてもらい、危機を脱した。
山下清は工場の手伝いが上手く出来ず、怒られたりする。
しかし、自慢の醤油を塗ったおにぎりを食べる事が出来た。
ランニング姿に半ズボン、リュックには傘が入っていた!
冬には袢天を着ることもある。
ドラマと実際の山下清の相違点
ドラマでは毎回、山下が旅先で貼り絵を作成することが決まりごとになっているが、実際の山下は放浪する際、画材道具やスケッチブックは持参しておらず、八幡学園に帰ってきた時に、印象に残った所を思い出し、1ヶ月もかけて貼絵にし、卓越した記憶力で日記も書いていたそうだ。
また、その貼り絵も自発的に作成するのではなく、施設のスタッフ(当時は「指導員」)に促されてからしか作業しなかったと言う。
この作品に登場する、山下清が実際に指導を受けていた知的障害児施設は昭和3年創設された「八幡学園(福祉型障害児入所施設)」であり、千葉県市川市に実在する。