石田えり 児童養護施設 ~ 芸能界デビューまで
via www.80s.ne.jp
3歳:孤児院で明るく育つ。(現在は児童養護施設と言うらしい)
有田:明るいエピソード。土日は家に帰れる。
石田:片親だったんで。他の子は両親がいない子が多かったんで土日は家に帰れた。不幸な中で、一番幸せだった。
両親の離婚により、
3歳から9歳まで妹と2人で児童養護施設で育った。
3歳から9歳まで妹と2人で児童養護施設で育った。
有田:続いての明るいエピソード・・・気づいたら盗んでいる。
石田:盗んでるつもりは無いけど、カバンの中に色々入っている。
上田:手癖が悪いんですよ。
石田:学校から帰るとき校門で先生が私のカバンを開けて
「これ、誰のですか?」「はーい」「これは~」「はーい」って
そうされると私は6年間、泥棒呼ばわりですよ。
上田:だって泥棒じゃないですか?
石田:ねぇ~
細木:「ねぇ?」じゃないよ。
石田:それでもう治ったから。
手癖が悪かった…つらい思いをあっけらかんとした明るさで乗り切ったのでは?
先生も配慮ある対応、泥棒呼ばわりされないために下校前にカバンの中のものを返した。
先生も配慮ある対応、泥棒呼ばわりされないために下校前にカバンの中のものを返した。
via www.casa7.com
あらゆる視点から見ると、立派な人もダメな人もいない。ただ、現代の社会状況と、そこで生きる人間の姿がありのままに見える。
コラム:石田えり『風の色』vol.8 地球で遊ぶ より
via www.80s.ne.jp
“孤独”は危ない。“孤独”は人生を蝕む。
コラム:石田えり『風の色』vol.5 “孤独”のレッスン より 名言
石田えり 結婚・離婚~後悔しない生き方
via vt.showyou.com
結婚するも幸せゼロ
上田:そんな良いこと無かったですか?
石田:全然無かったですね~。お互いにだと思いますけど・・・
誰しも思ってもみないことが、降りかかってきた時や人生の転機で、「もしもあの時こうしていたら」という選択はあるじゃないですか。
でも反省はしなくてはいけないが、後悔しない生き方とは何か、出来事や出会いが運命として決まっているなら、自分に残された自由は、その制約の中で物事をどう受けとめ行動するか、それだけだと思う。その対応で後の展開が変わる気がします。
石田えり いろんな意味で開き直るしかない!強くなる!楽になる!
2007年 石田えり 47歳
石田えり、オンナの本音語る「サッド ヴァケイション」トークショー
映画「サッド ヴァケイション」はベネチア国際映画祭に正式出品された。
石田えり、ベネチアへ出発する前日。
映画「サッド ヴァケイション」はベネチア国際映画祭に正式出品された。
石田えり、ベネチアへ出発する前日。
やっぱり物事をどうとらえるかが、大事だと思う。
ある出来事で押しつぶされそうになったとしても、それをはね返す力が自分にあれば楽ですよね。
人は年を重ねて生きていくと、いろんな意味で開き直るしかないし、そうやって本当に強くなるんだと思う。
身長162cm。体重53kg。B85cm、W60cm、H88cm。
1976年「スター・チャレンジ」のアシスタントで芸能界デビュー。
1981年の映画『遠雷』でヌードに
1985年ミュージシャンの芳野藤丸と結婚、1990年に離婚。
第1作から出演していた釣りバカ日誌を第7作を最後に降板した。
1993年ヘルムート・ニュートン撮影のヘアヌード写真集『罪』発売
2005年映画『ジーナ・K』でストリップも披露(40代半ば)