「職業・作家 ただ今処女作執筆中」の椎名桜子って覚えてる!?
バブル景気に沸いた80年代後半。1988年に小説「家族輪舞曲」でデビューを飾り、同名映画では監督を務めたことで話題となった小説家・椎名桜子さんを皆さん覚えていますでしょうか?この記事では、当時の彼女の活動及びその後について書いてみたいと思います。
小説家としてのデビュー前から活動していた椎名桜子。
椎名桜子さんは1966年生まれ。1987年、成城大学在学中に「アンノン族」の一角をなした雑誌「an・an」にて連載コーナーを持ち、当時より「作家」の肩書で活動していました。そして「名前・椎名桜子 職業・作家 ただ今処女作執筆中」と銘打ち、デビュー前からメディア露出を増やし、1988年に満を持して「家族輪舞曲(ロンド)」で小説家デビューを飾ります。
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「家族輪舞曲」がいきなりヒット!同名映画も製作される!
デビュー前から「女子大生作家」「22歳の大型新人」などと注目された椎名桜子さん。その「タレント性」を前面に押し出した売り出し方は斬新で、デビュー作は8万部と、若手小説家の処女作としてはヒットを記録。同名映画の製作も決定しました。
同名映画「家族輪舞曲」は、椎名さん自身が原作を脚色した上で自ら監督を務めた野心作。大貫妙子が音楽を担当するなど話題性も高かったのですが、配給収入は1億円以下と低迷。映画としては成功することは出来ませんでした。
「家族輪舞曲」で一躍脚光を浴びた椎名桜子でしたが…
翌1989年には「agua de beber おいしい水」「それでもわたしは白い服がほしい」を立て続けに執筆した椎名さん。しかし、処女作である「家族輪舞曲」を超えることは出来ず、徐々に執筆のペースが低下、文壇から椎名さんの名前を見ることは無くなっていきました。
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なぜ椎名は「一発屋」となったのか?
文芸界では「一発屋」の扱いを受けている椎名さんですが、その要因としては「キャラ先行の売り出し方」が指摘されています。通常であれば、人気作家になるためには「まず最初に作品が注目される」ことが必要ですが、椎名さんの場合は「ただ今処女作執筆中」とデビュー前から宣伝されており、彼女の実力よりもキャラを先行して売り出したことが、彼女の作家としてのキャリアを縮めてしまったと言われています。
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CMに主演し、タレント的な立ち位置の作家でもありました!
【1990年 CM】 大塚製薬 カロリーメイト 15sec
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