「ジャニーズ事務所」の創設者・ジャニー喜多川さん死去。
光GENJI、SMAP、嵐など数多くの男性アイドルを輩出したジャニーズ事務所の設立者、ジャニー喜多川さんが7月9日にくも膜下出血のため都内の病院で死去しました。87歳でした。
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速報入った
— ゆるふわ怪電波☆埼玉 (@yuruhuwa_kdenpa) July 9, 2019
ジャニー喜多川社長
くも膜下出血で死亡 pic.twitter.com/EjWkXudUMl
ジャニー喜多川さんは1931年、アメリカ・ロサンゼルス出身。1962年、自身がコーチを務めていた野球チームから4人の少年を抜擢し「ジャニーズ」を結成し、同年芸能事務所「ジャニーズ事務所」を設立。以後、郷ひろみ、少年隊、光GENJIなど、昭和を代表するスターを生み出し、「男性アイドル」というジャンルを確立しました。
その後も数多くの男性アイドルのプロデュースを手掛け、2011年には「最も多くのコンサートをプロデュースした人物」及び「最も多くのナンバーワン・シングルをプロデュースした人物」としてギネスブックに認定されました。その生涯を通じて、男性アイドル界に常に新風を巻き起こしてきたジャニー喜多川さん。事務所の発表によれば、最期は「最愛の子供達の愛に包まれながら、人生の幕を下ろした」とのことです。
昭和期にジャニーズ事務所が輩出した男性アイドル特集!
60年代から現在に至るまで、数多くの人気男性アイドルを輩出しているジャニーズ事務所。ここでは、昭和期に活躍したジャニーズ事務所所属の主要なアイドルについて軽く振り返ってみましょう。
フォーリーブス
初期のジャニーズ事務所を代表するグループであったフォーリーブス。下積み時代は「ジャニーズ」のバックダンサーを務め、グループサウンズ衰退期の1970年前後にはブロマイドの売上げが男性歌手部門の1位となるなど、一躍トップアイドルの仲間入りを果たしました。
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郷ひろみ
70年代に「新御三家」の一角として君臨した郷ひろみ。1971年にジャニー喜多川さんにスカウトされたのが芸能界入りのきっかけとなりました。下積み時代は前述のフォーリーブスのバックダンサーを務め、当時より多くのファンを獲得していました。
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田原俊彦
現在もビッグなアイドルとして君臨する田原俊彦。1976年、アイドルになるためジャニーズ事務所に書類を送るも返事がなかったため、ジャニー喜多川さんに直談判をしてジャニーズ事務所入りを認められたというエピソードが残されています。
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近藤真彦
レーサーとしての活躍も目覚ましい近藤真彦。1977年にジャニーズ事務所に入所し、1979年に「3年B組金八先生」の生徒役でデビュー。その後、田原俊彦、野村義男と「たのきんトリオ」を結成し、一躍トップアイドルとなりました。