ほんとにアイドルだった?
CHA-CHA(チャチャ)は1988年にデビューしたコントアイドルである。メンバーの所属事務所がそれぞれ異なっていたため、事実上、バップレコード、浅井企画の預かりであった。1992年に活動停止。
CHA-CHA 約束 - YouTube
テレビ番組『欽きらリン530!!』(日本テレビ系)の放送開始に合わせ、前身グループである“茶々隊”が結成された。(ハガキのネタに“茶々”を入れるという意味から萩本欽一が命名)。
茶々隊のメンバーオーディションは、1987年10月に第1回目が行われた。その時の合格者が松原桃太郎、火野玉男、須間一也の3名。シミュレーションをするも、番組開始3ヶ月前に萩本欽一から、「3人とも暗い」、「そういうのテレビで受けないから」の一言で、更に数度のオーディションが行われ、前述の3名に加え、勝俣州和、西尾拓美、木野正人、中村亘利、木村拓哉、草彅剛の6名が新たに加わった。
そして番組開始に向けてレッスンが行われた。萩本欽一曰く「デビュー前は本当イジメに近いぐらいレッスンさせた。言った事が出来ないと3日でも一週間でも同じ事をやらせた。最後には泣き出すメンバーも居た」という程、厳しいレッスンが続けられた。
そんな中、木村拓哉がレッスンに耐え切れずに自ら抜けて、残りの8名で「茶々隊」として番組デビューした。その後、勝俣・西尾・松原・須間・火野・草彅で「CHA-CHA」を結成。
もなくして須間&火野が、中村&木野と入れ替わり脱退。草彅は「CHA-CHA」のCDデビュー直前に脱退。メンバー構成(勝俣・西尾・松原・中村・木野)に落ち着き、1988年に「CHA-CHA」としてCDデビューした。その後、1990年に木野が脱退した。
事実上の欽ちゃんファミリーのグループで、浅井企画からデビューした。初期は冠番組を持つなど「歌って踊れてお笑いも出来るアイドルグループ」として成立していた。近年になり、当時を知らない世代が「アイドルグループにいた」「SMAP並みに人気があったんだぞ」と弁明する勝俣に疑心の声をあげてイジることも多い。
1991年の新春に放送された特番「花の芸能界全部のっとらせていただきます」のワンコーナー『ねるとんね紅鮭団』に出演、西尾拓美は理想のタイプは『西村知美』と答え、「宇部の方言を大切にしているので大変いいなぁ」と西村知美の魅力を語っている。
1992年1月、渋谷公会堂のコンサートにて解散。脱退した木野もゲスト出演した。
ライバルユニットとして、東京キッドブラザース所属の2人によるJA-JA(長戸勝彦、水谷あつし)も結成された。
曲はほとんどがオリコン10位以内!
Beginning (1988年9月7日、オリコン最高順位第5位、『ザ・ベストテン』最高順位第8位、『歌のトップテン』最高順位第9位)
いわゆるひとつの誤解デス (1988年12月14日、オリコン最高順位第2位、『ザ・ベストテン』最高順位第6位)