船山基紀とは
船山 基紀(ふなやま もとき、1951年1月13日 - )は、東京都出身の作曲家、編曲家、キーボーディスト、音楽プロデューサー。
via twitter.com
幼い頃から譜面と地図が好きだったという船山基紀さん。
アルバイトで始めたヤマハ音楽財団のポピュラーソングコンテストの仕事で編曲の基礎を学ばれたそうです。
編曲家としてデビューされたのは1975年の「アザミ嬢のララバイ」。この曲は中島みゆきさんにとってもデビューシングルでした。
ニューミュージックを代表する多くの作品を編曲される一方、アイドルやジャニーズの楽曲も手掛ける程、多才ぶりを発揮されています。
この記事では、そんな船山基紀さんが編曲を手掛けた代表的な楽曲を、前編として10曲ご紹介したいと思います。
アルバイトで始めたヤマハ音楽財団のポピュラーソングコンテストの仕事で編曲の基礎を学ばれたそうです。
編曲家としてデビューされたのは1975年の「アザミ嬢のララバイ」。この曲は中島みゆきさんにとってもデビューシングルでした。
ニューミュージックを代表する多くの作品を編曲される一方、アイドルやジャニーズの楽曲も手掛ける程、多才ぶりを発揮されています。
この記事では、そんな船山基紀さんが編曲を手掛けた代表的な楽曲を、前編として10曲ご紹介したいと思います。
船山基紀が携わった代表的な楽曲(前編)
1975年 時代
「時代」は1975年12月21日にリリースされた中島みゆきさんの2枚目のシングルです。
この曲は中島みゆきさんが作詞・作曲され、シングルとしてリリースされるタイミングで船山基紀さんが編曲をされています。
この曲は多くのアーティストにカバーされていますが、薬師丸ひろ子さんのカバー版でも船山基紀さんが編曲を担当されています。
こんな名曲なかなかないですよねぇ・・・
この曲は中島みゆきさんが作詞・作曲され、シングルとしてリリースされるタイミングで船山基紀さんが編曲をされています。
この曲は多くのアーティストにカバーされていますが、薬師丸ひろ子さんのカバー版でも船山基紀さんが編曲を担当されています。
こんな名曲なかなかないですよねぇ・・・
時代 -ライヴ2010~11- (東京国際フォーラムAより)
via www.youtube.com
1977年 勝手にしやがれ
「勝手にしやがれ」は1977年5月21日にリリースされた沢田研二さんの19枚目のシングルです。
この曲は、第19回日本レコード大賞、第8回日本歌謡大賞、第10回日本有線大賞では大賞を受賞し、第3回あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭でゴールデングランプリ、第6回東京音楽祭国内大会でもゴールデンカナリー賞を受賞しました。この当時の賞を総なめにした大ヒット曲であり、沢田研二さんの代表曲ですよね!
めちゃくちゃカッコイイです!
この曲で船山基紀さんの知名度が最も上がり、不動のものとした様に思います。
この曲は、第19回日本レコード大賞、第8回日本歌謡大賞、第10回日本有線大賞では大賞を受賞し、第3回あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭でゴールデングランプリ、第6回東京音楽祭国内大会でもゴールデンカナリー賞を受賞しました。この当時の賞を総なめにした大ヒット曲であり、沢田研二さんの代表曲ですよね!
めちゃくちゃカッコイイです!
この曲で船山基紀さんの知名度が最も上がり、不動のものとした様に思います。
沢田研二 勝手にしやがれ
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1978年 飛んでイスタンブール
「飛んでイスタンブール」は1978年4月1日にリリースされた庄野真代さんの5枚目のシングルです。
作詞はちあき哲也さん、作曲は筒美京平さんでした。
この曲は庄野真代さんの代表曲ですが、もともとは野口五郎さんに書いた曲でした。しかし、曲の仕上がりをみて、女性ボーカルが良いと判断され、庄野真代さんが歌うことになりました。
サビの"飛んでイスタンブ~ル~ ♪"は頭から離れませんよね!
作詞はちあき哲也さん、作曲は筒美京平さんでした。
この曲は庄野真代さんの代表曲ですが、もともとは野口五郎さんに書いた曲でした。しかし、曲の仕上がりをみて、女性ボーカルが良いと判断され、庄野真代さんが歌うことになりました。
サビの"飛んでイスタンブ~ル~ ♪"は頭から離れませんよね!
飛んでイスタンブール 庄野真代
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1978年 夢想花
「夢想花」(むそうばな)は1978年11月21日にリリースされた円広志さんのファーストシングルです。
この曲は第16回ヤマハポピュラーソングコンテストのグランプリと第9回世界歌謡祭のグランプリに選ばれました。
円広志さんの代表曲であり、大変頭に残るサビのですが、作ったご本人は相当苦労されたそうです。
誰にでも馴染みやすい曲だと思います。それは編曲された船山基紀さんの影響力あってのものだと思いました。
この曲は第16回ヤマハポピュラーソングコンテストのグランプリと第9回世界歌謡祭のグランプリに選ばれました。
円広志さんの代表曲であり、大変頭に残るサビのですが、作ったご本人は相当苦労されたそうです。
誰にでも馴染みやすい曲だと思います。それは編曲された船山基紀さんの影響力あってのものだと思いました。