2020年11月26日 更新
【訃報】「神の手」ディエゴ・マラドーナ氏が死去。薬物問題のゴタゴタなど、日本との関係とは?
サッカー界を代表する伝説的スーパースターであり、「神の子」などの愛称で知られたディエゴ・マラドーナさんが25日、アルゼンチン・ブエノスアイレス郊外の自宅で亡くなったことが明らかとなりました。60歳でした。
サッカー界伝説のスーパースター、ディエゴ・マラドーナさん死去。
サッカー界を代表する伝説的スーパースターであり、「神の子」などの愛称で知られたディエゴ・マラドーナさんが25日、アルゼンチン・ブエノスアイレス郊外の自宅で亡くなったことが明らかとなりました。60歳でした。
「サッカーの王様」ペレからも追悼コメントが!
マラドーナさんは1960年、アルゼンチン・ブエノスアイレス生まれ。アルゼンチン・リーグ史上最年少でプロデビューを飾り、80年代からは欧州のFCバルセロナ、SSCナポリといったチームに所属し、1986年のメキシコワールドカップではアルゼンチン代表として活躍。この大会では、イングランド戦における「5人抜き」「神の手」といった後世に語り継がれるプレイが量産され、サッカー界の伝説として今でも語り草となっています。その一方で、90年代に入ると薬物問題によるワールドカップからの追放といったスキャンダルが続き、1997年には現役引退を表明。引退後は母国アルゼンチンやメキシコのサッカーチームで監督を務めるなど後進の育成に力を注いでいました。
伝説のプレイを収めた動画はこちら!
VIDEO
マラドーナ 神の手・5人抜き イングランド VS アルゼンチン (86` FIFA WC メキシコ大会)
マラドーナと日本の関係を振り返る!!
前述の「5人抜き」「神の手」といった数々の伝説を残しているマラドーナさん。では、日本においてはどのような活躍ぶりを見せていたのでしょうか?ここでいくつか振り返っておきましょう。
1979年、日本開催のワールドユースでMVPを獲得!
マラドーナさんと日本の関係としてまず挙げられるのは、1979年に東京などで開催された「FIFAワールドユース選手権」です。この試合でマラドーナさんは6試合中5試合で6ゴールを決める活躍を見せ、決勝のソビエト連邦戦でも76分にゴールを決めています。その活躍から、ゴールデンボール賞(MVP)に選出されました。
Jリーグ発足時にゴタゴタが発生!
次に日本と大きく関わったのは90年代のJリーグ発足時で、名古屋グランパスエイトがJリーグ発足に向けて戦力の強化を図るためにマラドーナさんの入団を目指していたものの、そこに薬物使用疑惑が浮上。その結果、スポンサーであるトヨタがマラドーナさんの入団を拒否し、Jリーグでの活躍は夢に終わることとなりました。さらに、1994年にはキリンカップで来日を予定していたものの、これも薬物問題で入国を拒否されています。
弟のウーゴが福岡ブルックスで活躍!
本人のエピソードではないのですが、弟であるウーゴ・マラドーナ氏は90年代半ばに福岡ブルックス(現:アビスパ福岡)で活躍していた時期があります。ウーゴ氏が所属していた1995年、福岡ブルックスはジャパン・フットボール・リーグ(旧:JFL)で開幕から11連勝を記録するという猛攻を見せ、ウーゴ氏は開幕から10試合連続で得点し、チームの連勝に大きな貢献をしました。
60歳というまだまだ若いマラドーナさんの突然の訃報には、「サッカーの王様」ペレやアルゼンチン代表のリオネル・メッシなど、サッカー界のスーパースターたちが相次いで追悼のコメントを発表しており、その存在の大きさを伺わせます。マラドーナさんの生き様は、今後もサッカー界の伝説として語り継がれていくことでしょう。ご冥福をお祈り申し上げます。
マラドーナの生涯を描いたドキュメンタリーはこちら!
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