GK 1 松永成立
松永 成立(まつなが しげたつ、1962年8月12日 - )は、日本の元サッカー選手、サッカー指導者。選手時代のポジションはGK。日本代表として活躍しドーハの悲劇の際には正GKを務めていた。
2015年3月現在は、J1横浜FマリノスのGKコーチ
DF 4 堀池巧
堀池 巧(ほりいけ たくみ、1965年9月6日 - )は、元サッカー選手、サッカー解説者である。現役時代はディフェンダーとして活躍、日本代表にも選ばれた。静岡県清水市(現:静岡市清水区)出身。
日本サッカーリーグの読売クラブ(現東京ヴェルディ)を経て1992年、Jリーグ発足に備えて設立された清水エスパルスに入団。途中1998年後半から1999年前半にセレッソ大阪に移籍するが、エスパルス草創期の中心的な選手として活躍した。
2015年3月現在は、特定クラブの監督・コーチ業は行っておらず、解説やスクール運営などを行っている。
via jr-soccer.jp
DF 7 井原正巳
井原 正巳(いはら まさみ、1967年9月18日 - )は、滋賀県甲賀郡水口町(現甲賀市)出身の元サッカー選手、サッカー指導者。1990年代の日本サッカー界を代表するディフェンダーで「アジアの壁」と呼ばれ[3]、1998 FIFAワールドカップにも出場した。家族は妻(1993年結婚)、第1子(男子、2006年出生)、愛犬(ゴールデン・レトリバー)。
サッカー日本代表のA代表CAP数122は歴代2位である[4]。
2015年3月現在はJ2アビスパ福岡の監督
DF 5 柱谷哲二
柱谷 哲二(はしらたに てつじ、1964年7月15日 - )は、京都市出身の元サッカー選手、サッカー指導者・解説者。Jリーグ選手協会初代会長。現役時代のポジションはディフェンダー、守備的ミッドフィールダー。元サッカー選手、サッカー指導者の柱谷幸一は実兄である。
2015年3月現在は、J2水戸ホーリーホックの監督
DF 3 勝矢寿延
勝矢 寿延(かつや としのぶ、1961年9月2日 - )は日本の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはDF。
長崎県出身。所属クラブでは主にセンターバックや右サイドバックを務めていた。サッカー日本代表でもクラブと同じポジションでピッチに立つことが多かったが、1993年の1994年アメリカワールドカップアジア地区最終予選では故障をしていた都並敏史の代役として第三戦の北朝鮮戦から左サイドバックで先発出場した。最終戦の対イラク戦(ドーハの悲劇)でもピッチに立っていた。
2015年3月現在は、J2セレッソ大阪サッカースクール スクールマスター
via www.cerezo.co.jp