2019年3月19日 更新
【訃報】50年以上オリンピックを応援し続けた「五輪おじさん」こと山田直稔さん死去。彼が声援を送った歴代五輪とは?
1964年の東京大会以来50年以上にわたりオリンピックを応援し続け、「オリンピックおじさん」の愛称で親しまれてきた実業家・山田直稔さんが、9日に心不全のため亡くなっていたことが明らかとなりました。92歳でした。
オリンピックを応援し続けた「五輪おじさん」こと山田直稔さん死去。
1964年の東京大会以来50年以上にわたりオリンピックを応援し続け、「オリンピックおじさん」の愛称で親しまれてきた実業家・山田直稔さんが、9日に心不全のため亡くなっていたことが明らかとなりました。92歳でした。
IOC会長も哀悼の意を表明!
今回の山田さんの訃報に対し、吉田沙保里さんら多くの五輪メダリストが哀悼の意を表明。更に、IOCのバッハ会長もIOCの公式ツイッターを通じ「彼は真のスーパーファンであった」と、来年に迫った2度目の東京大会を目前にした彼の死を悼みました。
五輪おじさんが声援を送ったオリンピック一覧!!
1964年の東京大会から2016年のリオデジャネイロ大会まで、全ての夏季オリンピックに足を運び、シルクハットを被って日の丸の扇子を振り続けてきた山田さん。ここでは、彼が応援した歴代の大会を軽く振り返っておきましょう!
東京(1964年)
1964年10月10日から10月24日までの15日間にわたり開催された東京大会。「オリンピック景気」と呼ばれる好景気をもたらし、後に10月10日は体育の日となりました。また、公式記録映画「東京オリンピック」が制作され、市川崑が総監督を務めました。
メキシコ(1968年)
1968年のメキシコ大会。サッカーにおいて、日本は釜本邦茂らの活躍により銅メダルを獲得する快挙を成し遂げました。アジア勢としては初のサッカーでのメダルとなっています。
ミュンヘン(1972年)
1972年のミュンヘン大会。鉄棒で金メダルを獲得した塚原光男が開発した「月面宙返り」が、この大会以後世界の体操界で長年使用される革命的な技となりました。また、オリンピック史上最悪の悲劇「ミュンヘンオリンピック事件」が発生しています。
モントリオール(1976年)
1976年のモントリオール大会。この大会で日本は各競技で不振が続き、ローマオリンピック以来の一桁の金メダル数となってしまいました。
モスクワ(1980年)
1980年のモスクワ大会。冷戦下のソ連で行われたこの大会は、1979年に起きたソ連のアフガニスタン侵攻の影響を強く受け、西側諸国の集団ボイコットという事態に発展。日本もボイコットせざるを得なくなりました。
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