魔術師・ジャンフランコ・ゾラ
ポジションはフォワード。イタリア・サルディーニャ島出身。
イングランドで成功した数少ないイタリア人プレーヤーの一人。
チェルシーでは「マジック・ボックス」という愛称で親しまれ、全盛期には「ペナルティキックよりもフリーキックの方が決めるのは簡単さ」と豪語したほど、フリーキックの名手として知られた。
ナポリ、パルマでの成功
1989年にディエゴ・マラドーナが当時在籍していたセリエAのSSCナポリに移籍、頭角を現す。
その後移籍したACパルマでは、ファウスティーノ・アスプリージャやディノ・バッジョらと共に中心選手として活躍。
在籍期間中にセリエA制覇は成らなかったが、1995年にUEFAカップを獲得した。
ナポリでは、マラドーナからフリーキックのキッカーを受け継ぎました。マラドーナから直々に教わりました!なんと贅沢なんでしょうか。
徹底的にマラドーナのプレイを真似し、技術を習得していった様子から「マラゾーラ」と呼ばれました。
その結果、鋭い切れ味のFKは、数々の名場面を生み出します。
徹底的にマラドーナのプレイを真似し、技術を習得していった様子から「マラゾーラ」と呼ばれました。
その結果、鋭い切れ味のFKは、数々の名場面を生み出します。
ナポリ、パルマでの活躍からその実力を認められて、イタリア代表に選出されるようになったが、「イタリアの至宝」と言われたロベルト・バッジョが同じポジションにいたため、脚光を浴びる機会は少なかった。
唯一のワールドカップ
1994年・アメリカ大会
決勝トーナメント1回戦のナイジェリア戦だったように記憶していますが、
左サイドで不用意なボールキープをしているゾラがボールを奪われ、ボールを奪い返そうと相手選手とボールの間に大きなアクションで体を入れようとしたプレーが相手を蹴りにいった(踏みつけに行った)報復行為とみなされ退場になりました
厳しすぎる判定に嘆くゾラ・動画
ゾラの悲劇 W杯94 - YouTube
via www.youtube.com
報復行為に対するFIFAからの事前通達
ラフプレーや故意犯的な反則が増加した前回大会の反省を踏まえ、FIFAは「危険もしくは確信犯的な反則に対しては厳しく裁定するように、それを守らないレフェリーには即刻帰国してもらう」という異例の通達を出していた。
動画をご覧になれば、いかに判定が厳しいかお分かりになるかと思います。
誤審と言われてもおかしくない判定ですが、結局覆ることはありませんでした。
そして、途中出場のこの1試合が、ゾラが唯一出場したワールドカップの試合となりました。
誤審と言われてもおかしくない判定ですが、結局覆ることはありませんでした。
そして、途中出場のこの1試合が、ゾラが唯一出場したワールドカップの試合となりました。
イングランド・チェルシーで大活躍!
96年にはプレミアリーグ「チェルシー」へ移籍。この時ゾラは30歳を超えていましたが、年齢を感じさせないプレーで活躍し、チェルシーのタイトル獲得に大きな貢献を果たしています。
チェルシーでサポーターから絶大な指示を受けていたゾラでした
イングランドのみならず世界最強とも言われるチェルシーも、かつては単なる外国人寄せ集めチームだったが、ゾラがプレーしたことで、ひと味もふた味も違ったチームに生まれ変わった。
チェルシーを一人前に育てたのはアブラモビッチでもモウリーニョでもなく、ゾラだった。